カテゴリー: ア行



チルドレン


んん?短編か?と思いきや少し成長した同じ登場人物が出てきたり、また世代が戻ったり。
実際には短編なんですが、話は続いている。そんな感じですかね。

『バンク』、『チルドレン』、『レトリーバ』、『チルドレンⅡ』、『バンク』、『イン』の5作。

それぞれにちゃんと、なんだそういう事だったの?という意外性を作っているところはさすが、というべきか。
ミステリものでは無いにしろミステリものっぽさはみたいな最後の意外性はもう伊坂さんのスタイルになっているのかもしれませんね。

登場人物は何人もいますが、この一連の話の中で、最も個性的且つ魅力的なのが陣内という青年。

そして全盲の青年永瀬。この人も魅力的な人です。

その永瀬の彼女が盲導犬のラブラドールレトリーバのベスという犬に嫉妬しているところなども微笑ましい。

『バンク』では主人公たち(陣内、鴨居)はまだ大学生。閉店時間間際でシャッター閉まりかけの銀行にギリギリ滑り込んで、銀行強盗に遭遇してしまう。
そこで同じ人質仲間として全盲の永瀬と出会い、永瀬が犯人達について名推理をする。

これは途中で推理結果は読めてしまいましたが、犯人の存在を気にもとめず、陣内がいきなりビートルズの「ヘイ・ジュード」を歌いだすあたり、陣内の訳のわからない性格を良く表しています。

その歌のおかげで人質になって泣き出したご婦人も泣き止みましたし。

『チルドレン』、『チルドレンⅡ』では主人公達は社会人に。

陣内は何を血迷ったか家庭裁判所の少年事件担当の調査官になっています。
これがまさに嵌っているからおもしろい。

「適当でいいんだよ。適当で。人の人生にそこまで責任持てるかよ」

と口では言いながらも、後輩の調査官にしてみれば一番頼りがいのある調査官。
陣内が担当する事例というよりも後輩の担当事件に口を突っ込む話ばかりなのですが・・。
公衆便所の落書きばかりを集めて書いた本を少年に読ませる事を薦めてみたり、後輩にすれば訳の分からないアドバイスをもらうわけですが何故か全て的を得たグッドアドバイズになってしまっています。

破天荒で言いたい放題で、またその言い方が断定的で・・という陣内以外は皆、まとも・・・と言いながらも案外一番まともなのが陣内なのかもしれません。
まともという表現が妥当で無ければ真っ正直とでも言い替えましょうか。

永瀬は目が見えない。
かつて曽野綾子さんが書いていたのを思い出します。
目が見えなくなってしまう事への恐怖。
いきなり真っ暗闇の世界になってしまう事がどれだけ恐ろしいかを。
でも永瀬は生まれた時から目が見えない。
だから見えないのが当たり前。
また、その当たり前を何でもない当たり前として捉えている陣内という男は清々しい。

この変則連続短編5編の中でのピカ一はなんと言っても『チルドレンⅡ』でしょう。
多くは語りません。

子供からは、かっこ悪いと思われているが、本当はめちゃめちゃかっこいい世の中のお父さん達へ、
丁度明日は父の日ですね。
「ハイこれ子供達からよ」
などと言われて奥さんが買ったベルトなんかを形ばかりの感謝のプレゼントとしてもらって、これっぽっちも感謝などされていない世の中のかっこいいお父さん達、
この一編を読んでみて下さい。
たぶん、あなたの目はウルウルになりますよ。

チルドレン  伊坂 幸太郎 (著)



アヒルと鴨のコインロッカー


現在の語り部は大学に入学したばかりの平凡な僕。
引越しをして来たばかりの僕は隣人に挨拶をしていきなり本屋を襲撃しようと誘われる。
この物語にはもう一人の語り部が居る。
時期は現在の僕から遡ること2年前。
語り部はペット殺しの三人組につけねらわれる女性の「わたし」。
単にペット殺しと言ってもその残虐さになぶり殺しにしてしまう凶悪な連中。

現在と2年前の物語が交互に登場するスタイルです。
章が変わる毎にまるでコマーシャルで中断されてしまったドラマか映画の様にその続きが読みたくなり、結局途中で読む事をやめられなくなってしまう。そんな小説でした。

物語の主役は2年前のわたし=琴美と河崎とブータンからの留学生ドルジ。

ブータンというと大乗仏教のお国。
「人を思いやるという事を大切にする」のはどんな宗教でも一番の主眼に置いている事でしょうが、それが来世の自分自分の幸せにつながるというのが大乗仏教だったでしょうか。
ですからブータン人のドルジにとっては人が死ぬ事も悲しい事では無いはずなのですが、もの覚えの良いドルジが日本人に感化されるのは早かった様です。

ドゥックユル(雷龍の国)、ブータン。
ドルジはブータンから日本に留学に来ましたが、ブータンにとって日本から来て学ぶ事など本当にあったのでしょうか。
ブータン、パキスタン、カラコルムの僻地へ行った時にも感じましたが、集落の佇まいやその生き方は自然とともに有り、おそらく何百年何千年も前からこんな暮らしをしていたのだろうなぁ、という近代化を否定した様な豊かな生活。

現在と2年前の二つの物語はもちろん繋がっていてだんだんとその繋がりが正体を表す。
そのあたりは『ラッシュライフ』が複数の話がどこで繋がるのかさっぱり分からなかったのとは少し違って、つながるべくして繋がった、というところでしょうか。

そして主人公であるはずの僕は主人公でもなんでも無く、この物語の中ではほんの脇役でしかなかった事に自分の存在に気がつく。
ボブディランの「風に吹かれて」でが無ければつながっていさえしなかったかもしれません。
皆、人生自分が主役だと思って生きているのに語り部でありながら、主人公達のお話の最後の最後のしめくくりのしかも脇役でしかすぎなかったぼくの存在がなんとなく哀れにも思えますが、まぁ人生そんなものでしょう。

さてこの『アヒルと鴨のコインロッカー』が映画化されてこの5月12日から仙台では全国に先駆けて公開されているはずです。
全国展開は6月以降からとか。

この物語、本で読めばこそのどんでん返しがあるのですが、映画化されるとそこがどうなってしまうのかが少し気になります。
そのあたりを映画化にあたってどういう工夫をしたのか、この映画を観る時の楽しみでもあります。

では皆さんここまで読んでくださって「カディン・チェ」。
(ゾンカ語=ブータンの国語です「ありがとう」の意)

あ、そうそうこの文章UPする時にはボブディランの「風に吹かれて」をバックミュージックにいれておいてくださいね。How many roads must a man walk down・・・・

えっ、著作権の問題で無理?しかたが無いなぁ「ラ・ソー」。
(「ラ・ソー」はゾンカ語で 「ほな、サイナラ」の意)

アヒルと鴨のコインロッカー  伊坂 幸太郎 (著)



フィッシュストーリー


四編の小編が収められていました。
『動物園のエンジン』、『サクリファイス』、『フィッシュストーリー』、『ポテチ』
『サクリファイス』と『ポテチ』にはあの黒澤という泥棒件探偵屋さんが登場します。

作者はよほどこの泥棒件探偵屋さんがお気に入りなのでしょう。伊坂本には黒澤キャラは必須アイテムの様です。

『サクリファイス』 はその名の通り「いけにえ」が題材。
東北地方のある山奥の集落で昔からの風習としていかにもあった様な「こもり様」という人を「いけにえ」として洞窟に閉じ込める儀式が現存する。
そのに泥棒件探偵屋さんの黒澤が今回は探偵屋さんとしてが首を突っ込んで行く、というちょっと不思議な世界。
題材としての魅力を感じます。

それにしてもこの黒澤という男、初対面のしかも自分より年上の人に向かっての口の利きかたにしてはあまりにも偉そうな口を利くのです。
相手を脅しているならともかくも質問者としてはあまりに偉そうな態度じゃないですか。
それに対して相手は不遜に思う訳でも無く結構親切に答えてくれていたりするんですよね。
まぁこれは黒澤のキャラをくずさないためには仕方が無いのかもしれませんが・・・。

『フィッシュストーリー』
二十数年前、現在、三十数年前、十年後。
全く異なる舞台での出来事が次の出来事の原因になっている。
因果応報ってやつですか。いやちょっと四字熟語の使い方が違うかもしれませんね。
因果はめぐるっていうやつですかね。
いや、どうも適当な表現が見つからない。

そもそもは三十数年前の無名のロックバンドのアルバムに収録された曲の中にある1分間の無音。

この本にも書かれているビートルズの犬にしか聞こえない周波数での無音の箇所があるアルバム、というもの。
無音の箇所と言えば、「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band(サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド」のアルバムに収められている「A Day In the Life」の終わりの部分ぐらいしか思い浮かばないのですが、それでも無音と言ってもほんのわずかの事だったと思います。

1曲の中の1分間の無音というのは売り出すには無理があるでしょうね。
ラジオで流すわけにも行きませんのでやはり「売れない」事を前提にしたアルバム化なのでしょう。

その消された1分間のボーカルのつぶやき。

「これは誰かに届くのかなぁ。 なぁ、誰か、聴いているのかよ・・・・」

このバンドボーカルの嘆きとも言えるつぶやきはそのままアルバムに残っていれば良かったのに・・などと思ってしまいます。

この無音が無ければそもそもこのストーリーは成り立たなくなってしまうのですが・・・

フィッシュストーリー  伊坂 幸太郎 (著)