カテゴリー: ラ行



あの本は読まれているか


方やニューヨークのCIA本部に勤務するタイピストの女性職員のシーン。
方やソビエト連邦にて強制収容所へ送られた女性の痛ましいシーン。

その二つが交互に登場する。

CIAの新人タイピストはスパイとしての才能を発掘され、徐々にその仕事のウエイトを増やして行く。
方やソ連の収容所から解放された女性はソ連の作家、パステルナークの愛人だった。
彼がが記したのが『ドクトル・ジバゴ』。
内容は知らなくても、どこかで聞いた事がある人は多いだろう。

ソ連では出版されることはないだろうと、思われていたこの小説が、海外の人の手にわたり、アメリカCIAが入手しようとし、更には国際問題にならないように秘密裏に出版して、ソ連の人たちの手に届けようとする。

そのあたりからようやくCIAのタイピスト女性スパイとソ連の作家の周辺とが話として繋がり始める。

冒頭のCIAに勤務するタイピスト達の女性達の低い扱いなどは、当時としては当たり前だったのだろうが、今ではあり得ない。
今流行りのジェンダー問題への一石などという読み方をする人もいるかもしれないが、作者の本意ではないだろう。
一つの時代を描いたに過ぎない。

まだまだ、ソビエト連邦は地上の楽園であると日本の進歩的と呼ばれていたメディアなどで喧伝されている時に、アメリカCIAはもちろん、ソ連の国民が一番、ソ連の恐ろしさに気が付いていたわけだ。

米ソ冷戦は終わったが、時代は新たな冷戦時代を迎えようとしている。

今度はどんなドクトル・ジバゴがうまれるのだろう。

あの本は読まれているか  ラーラ・プレスコット著



ある紅衛兵の告白


ここに描かれているのはまさに自分が体験していなければ書けない様な生々しい話ばかりだ。
これまで中国の文化大革命を題材にした本は何冊か読んだことがあるが、どちらかと言えば文革の被害に自分や家族が遭遇し、中国を出て行った人の話が多かった様に思う。

それでもインパクトはかなりあったものだが、この本の迫力と言ったらどうだろうか。
それまでハルピンの地方の街の中学生だった主人公(筆者)。
文革の波は突然にやってくる
いきなり教師が一人自己反省を始める。
次には生徒が次から次と教師をつるし上げて行く。
学校は完全に崩壊され、もちろん授業など行われるはずもない。
教師は黒い三角帽を被せられ、台の上で膝をついて頭を垂れて、反革命的言動について、自己反省の言葉を言う事を強いられる。
公安とか警察の命令ではない。自分たちの教え子であるはずの生徒達から足蹴にされ、反省を強要されるのだ。
彼らは次から次へと標的を探し始める。
スポーツシューズの裏にある模様が「毛」の字に似ている、というだけでそのスポーツシューズを履いていた連中が標的に。大鍋の底の模様が「毛」の字に似ているから・・・。
絵画に至っては○○の様に見える、などと言い出したらいくらでもこじつけが出来てしまう。
こじつけにもほどがあるだろう、というごじつけで、弾劾者が決まって行く。
弾劾する側も弾劾する側に廻らなければ、自分が反革命分子のレッテルを貼られてしまうので戦々恐々だ。

そして芸術も文学も歴史もことごとく失われて行く。
「毛語録」以外の本を持っていることだけでも危険極まりない。

紅衛兵というのは誰でもがなれるわけではなく、この糾弾運動に積極的で、革命側にとってエリート、つまり両親もまたその両親も貧しい労働者階級であること。地主などが一人でも居れば、もうアウト。
つまり、紅衛兵になるか、その準紅衛兵の立場になるのか、はたまた、絶対無理な立場になるのか、共産主義で皆平等を目指すはすが、ここで明らかな階級が出来てしまうのだ。
親を反革命分子として糾弾する中学生なども出てくる。彼も最後には気がふれてしまうのだが・・。
全く身動きが取れないほどのすし詰め状態の列車で毛沢東を一目見ようと北京へ向かう学生達の大移動。

北京から更に移動した先で見る、無残な光景。
ある女性が色目を使ったなどと言う理由で、煮えたぎる大鍋の中へ放り込まれる。

その後、革命軍同士の対決が始まり、それがどんどん激化していく。
日本の学生運動の内ゲバの比ではない。こっちは戦車だの装甲車だのでぶつかりあっている。
もう完璧な戦争だ。

この文革、毛主席にすれば反革命分子の名で、先々政敵になりそうな連中を先に潰しておく狙いはあっただろうが、中学生や大学生がここまで狂気の世界に走って行くことまで想定済みだっただろうか。
また、実際に起こっていることは把握していたのだろうか。

それにしてもこの梁暁声と言う人、中学時代からほぼ10年間、勉学など出来なかっただろうに、なかなか博識なのだ。文章の至る所に、フロイト的なみたいな言葉が普通に使われているし。
ものごとの本質をちゃんと見据えているようにも思えるし。

彼は、いつこんな知識を身につけたのだろう。

多くの同世代の元紅衛兵たちはそうはいかなかったのではないだろうか。学生時代に10年間、教育を受けていないにのだ。中国でどんどん富裕層が生まれてくる時代におそらく取り残されているのではないか、と少し気の毒になる。

カルト教を信じる信者の様に、何かの熱にうなされたかの様に狂信的な世界が続いて行く、こんな熱病のような世界に何億人もが陥るという事が実際に発生してしまうのだ。

インターネットで世界が繋がった現代では考えられないと思ってしまいがちだが、SNSで一旦炎上するやいなや特定の人物を、血祭りにあげ、皆でバッシングする現代ももちろん文革ほどではないが、実はその類似の要素をはらんでいるのかもしれない。

ある紅衛兵の告白 梁暁声(リアン・シアオ・ション)著



元年春之祭


中国の古代の話、宮城谷氏以外の書き手のモノを読むとこんなにも読みづらいのか。
いやいや宮城谷氏以外も読んでました。

なんだろう。
何故、頭に入って来ない?

前漢の時代の旧楚の国の祭祀を担う一族の元へ、旧斉の国から豪族の娘が客人として訪れ、そこで起こった殺人事件を解決して行こうというお話。

その4年前に起きた一族の長男一家殺人事件。
娘一人を除いて全員死亡。

それに新たに起きる殺人事件。

一帯の集落には一族の3家族しかいないのだから、
それぞれ、外部と遮断されているなら、ほぼほぼその親族内でしか考えられないし、第三者が捜査をしようどころか近隣に住む一族同士。
そんなの毎日一緒に過ごしていれば自然にわかってしまうんじゃないのか。

たまたま滞在しに来た縁もゆかりもないしかも若い娘二人が新たな犯行の犯人なんてちょっと無理があり過ぎる。

なかなか絶賛されていた本だけに期待するところ大だったが。

中国古代を舞台とした現代的?ミステリ、という目新しさはあったものの、なんとも読みづらい本だった。

やっぱり宮城谷氏の本を読みたくなってしまった。

元年春之祭 陸秋槎著