無人島に生きる十六人


船が難破し、16人の乗組員は無人島へと辿り着き、無人島での生活をはじめるが、無人島漂流を予期していたかの如く、全くうろたえない。

明治時代にあった実話なのだそうだ。

船長が立派だった。
商船学校の教官だからというわけでもないだろうが、その指示たるや、なんと漂流一日目にしてかなり計画立っているのだ。
備蓄米の消費の仕方にしてもおもゆにして1日に二杯まで、と来年の何月までは長持ちする様に、という計算。

即日で井戸ほりの役割りを指示し、方や井戸が出来るまでのつなぎに蒸溜水作りを指示する。
そして、総員に対してこれからの生活についての約束事を指示する。
・島で手に入るもので暮らす
・出来ない相談は言わない
・規律正しい生活をする
・愉快な生活を心がける
無人島へ漂着して「規律正しい生活」をせよ、と言う。
否、船長に言わせれば無人島へ漂着してからこそ「規律正しい生活」をせねば維持出来ない、ということなのだろう。
それに「出来ない相談は言わない」、これはなんでもおねだりの平成日本人には最も出来ないことではないだろうか。
それでいて「愉快な生活を心がける」というのが素晴らしい。

少し前のテレビ番組に電波少年だったか雷波少年だったかの中で「十五少女漂流記」という15人の国籍も違う少女を無人島で暮らさせる、という企画を行っていたことがあった。
テレビの企画なのであたり前なのだが、彼らの生命は保障されているし、GIVE-UPを申請すればリタイアすることも出来る。
それでも、いやそれだからなのか、同じ島で暮らす仲間のはずが、いざこざが絶えず、次々にリタイアしてしまっていた。

そんなテレビ企画では無く実話に基いたドキュメンタリーの読み物、映画もこれまでにもいくつもあったと思う。
現実は「十五少年漂流記」などの冒険物語のようにお互い助け合って、どころか、いがみ合い、対立し合い、中には仲間の人肉を喰らうような凄惨な話までもがある。

この明治の漂流16人話にしても備蓄米は満足に食えない、飲み水でさえまともな飲み水ではない、船長から総員に対して腹は八分目に食べるように指示されたところで、何日か経てば「なんであんたに指示されなきゃならないんだ」という人間が現れても一向におかしくないのにも関わらず、一人として秩序を乱す人間は現れない。

それどころか、帆布をほぐして網を作り魚を獲る。
七カイリ先までも見通せ、通る船を見逃すまいと高い砂山を作る。
海鳥の卵を集めて卵焼きを作る。
海がめの牧場を作り、三十数頭の海がめを備蓄する。
海水より塩を製造する。
それぞれ料理当番、魚を獲る当番、海がめ牧場の当番、整理整頓の当番、砂山での見張り当番、塩製造の当番・・と16人皆がそれぞれに責任を持って、規律正しく行動する。
何でも自前で調達してしまう自給力、アイデア。海の男は物知りで器用である。
そして何より精神力が強い。

またベテランも新人もそれぞれに自分一人のすることが、残りのじゅう15人の命に関わることを十二分に理解し、その責務を全うしようとする。
船長曰く「十六人は一人であり、一人は十六人である」

こんなことが可能なのも元々船長以下、漁業長、水夫長、運転士、と元々統率の取れた規律正しい航海を続けて来たことも要素としてはあるのだろうが、元来の育ちが、質素で清貧であったためでもあるだろう。

そして何より素晴らしいのがこの16名が1人の命も失わずに生還したことだろう。

海洋国日本を何より誇りに思い、如何なる逆境にあっても明るさと創意工夫と明日への希望を捨てなかったこの明治の男たちの生き様はなんと美しいのだろう。

100年に一度の未曾有の不況の到来とも言われるこの2009年の年が明けたわけだが、厭世感に浸る前に、一度この十六人の話を読む事を是非ともお勧めする。
我々の世代の言う苦境など彼ら十六人にしてみれば苦境どころか、笑い飛ばされてしまうのではないだろうか。

無人島に生きる十六人  須川 邦彦 著