阪急電車有川浩


なんとも身近な阪急電車をタイトルに冠していながら、本に登場するのは阪急電車の沿線のなかでも最も馴染みの無い今津線。
そりゃまぁ、厄神さんへ行く時以外にもたまには乗るけどね。

この物語、今津線の宝塚から宝塚南口、逆瀬川、小林、仁川、甲東園、門戸厄神、西宮北口までの7区間、8駅を南へそして北へと往復する。

宝塚駅から宝塚南口駅の間の川って武庫川だったのか。
全然気にしたことが無かったから知らなかった。

阪急沿線をご存じない方にはなんのこっちゃだろうけど、阪急神戸線が武庫川を渡るんですよ。
阪急乗車人口の9割方、阪急沿線で武庫川の近くの駅と聞けば阪急武庫之荘駅と思うだろうな。

宝塚の図書館で見かける自分のタイプの女性がたまたま同じ車両のしかも隣に乗り合わせ、宝塚駅を出てすぐにあるその武庫川の中州に「生」という大きないたずら書きに見える字を彼女が見て、「ナマ」だという。
「生ビール」を即座に連想したのだという。

タイプの女性だけに無視などは当然せずに「生きる」「生」を連想したことを男は告げる。

震災後の今なら誰しも「生きる」「生」の方を連想するだろうが、個人的には「生ビール」を連想する彼女は素敵だと思う。

そんなこんなでこれまで見かけただけの男女が車内で気軽に話す仲になって行く。

その様子を見ていたのが、婚約者を寝取られてその意趣返しとばかりに花嫁よりもはるかに華麗な白いドレスで披露宴に出席した女性。

また、それを見ていたのが・・・と一話一話が途切れずに次へ次へと登場人物を変えてリレーされる。

そのリレーが南から北への復路では同じ登場人物のその後にバトンタッチされて行く。

東京の電車で乗り合わせた人同志が会話するなんてことはそうそうないし、大阪でも地下鉄御堂筋線など乗っていて、そんな場面にはなかなか遭遇しない。

もちろん阪急電車だってそうそう知らぬ者同士が会話を始めたりなどということは起こらない。

それでも、稀にあったりする。

大阪の環状線やら阪和線やら南海電車なんかでは喧嘩沙汰でのやり取りが多かったりするのが阪急電車の場合はちょっと違うような気がするのは自分がその沿線に住んでいるからという思い入れだろうか。

社会の窓が開いたままなことに気がつかなかったサラリーマンに目線だけで 「ほれ、そこそこ」 と教えてあげるおじさん。
座った座席の隣にとんでもない酔っ払いが座ってからんで来たりした時、そちらへ向き直ろうとした矢先、膝をコンコンっと反対側から叩く人が居るのでそちらを向き直ると、首を横に振って、「やめときなよ」と声にも出さずに制止してくれるおじさん。

もちろん、会話などでもなんでもないのだが、何か優しい声を聞かせてくれた気がしたりする。
これが阪和線とか環状線、近鉄、南海だと、喧嘩なら見物してやるぞ、大いにやれやれ!と囃したてるわけでもないが、それに近い雰囲気を感じたりするのはその電鉄の愛好客が読まれたらさぞご立腹かもしれませんが、案外本音だったりしません?

さてこの「阪急電車」の登場人物の中でも最も光っているのが、孫を連れた時江という女性。
孫に甘い顔をするどころか、結構手厳しかったりする。
有川浩の作品なので愛情満点なのは言うまでもないが・・。

婚約者を寝取られた意趣返し女性をみて一目で「ワケ有り」とわかったのだろう。
「討ち入りは成功したの?」と声をかける。

初対面でしかも車内でそんな言葉をかけることなどまず無いだろうが、彼女には孫を巻き込まないで大人の会話に持ちこんでしまえ、という思いがある。
「気が済んだところで会社を辞めなさい」
ここまで踏み込める人も踏み込まれる人もそうそういない。

そうかと思えば、結婚式の招待客が白はおかしいと彼女に言われても意味のわからない彼氏は常識を彼女に説かれるに連れ、怒りが爆発し、電車の扉を蹴り初めて、最後は目的地前で彼女を放って下車して行く。

あまりの傍若無人な態度を見た時江女史は、 「下らない男ね」 「やめておけば。苦労するわよ」 とばっさり。

そう、この老婦人は人の人生まで車内の一言で変えてしまうほどの雰囲気を持ち備えている。

車内で香水プンプン。大きな声で騒ぐ高級オバタリアン軍団にも一喝を入れてしまう。

そう。マナーが悪いのは決して若者の代名詞などでは無い。

キャーキャー騒いでいて車内マナーも守らんと、と大人から白い目で見られているような女子高生達が案外、転んだ人がいれば、「大丈夫?」と声をかけていたりする。
マナーを守っているはずの常識人っぽい大人達ではなく。

この本で阪急電車は「カブ」を上げただろう。 売買する株式の株ではなく。

阪急今津線に毎日乗っている人にはたまらない一冊だっただろうな。
その中でも阪急沿線に住む者でも滅多に思い出せないようなマイナーな駅の 「小林駅」が最もカブ を上げている。
この本を読んだ人なら、小林駅で一度は降りてみたいと思うのではないだろうか。

ちなみに「小林」と書いて「オバヤシ」と読むのですよ。
訪れる際には頭に入れておいた方がいいでしょう。

下手したら乗り過ごしてしまいます。

阪急電車  有川 浩 著  幻冬舎

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