憤死


いままでに綿矢りさの小説作品は何作も読んできた。
「インストール」や「蹴りたい背中」に始まり、「勝手にふるえてろ」や「かわいそうだね?」などなど、どの作品の主人公も女性だ。
女子特有のもやもやした感情を書いているのに、不思議と暗い物語にはならず、スムーズに読んでいけるものばかり。そんな読みやすさが気に入っていた。

しかし今回の「憤死」は、男の子の主人公の作品もあった。
いつもの癖で女の子だと思って読み始めたので、男の子だとわかってからも最初はほんの少し違和感があったが、読んでいるうちにすぐ慣れた。
全4作品の中でも印象に残った2つを紹介したいと思う。

■トイレの懺悔室
少年たちが公園で遊んでいると、よく声を掛けてくるおじさんとの交流から始まる。
そのおじさんの自宅へ行った時、おじさんはキリスト教の考え方を子供たちに話し、牧師めいたことを語った。
そしてひとりひとり薄暗いトイレに来てもらい、子供たちの懺悔を聞こうというのだった。
主人公の男の子は残忍なやり方で虫を殺したことを告白。
そして万引きの経験を打ち明けた。最初はおじさんの牧師の真似事を馬鹿にしていた少年だったが、懺悔することでどこか心が晴れるのを感じた。

そして月日が流れ、少年たちが再会したとき、おじさんの話題になる。
おじさんの様子を見に行くこととなった主人公は、年老いて弱ったおじさんの姿を見ることとなる。
懺悔しに来た時のことを思い出し、暗い気持ちになったところで物語は終わる。
人が弱くなったところを見るのが怖くて、お見舞いには行きたくないという彼の考え方が妙に心に残った。

■憤死
このタイトルで、憤死をいう言葉をはじめて知った。
文字通り、憤りすぎて死んでしまうことらしい。

愛する人と別れることとなり、自殺未遂をしたという昔の同級生、佳穂。
これだけ聞くとなんとも繊細な女の子を想像してしまう。
しかし彼女、別れが悲しくて飛び降り自殺未遂をしたわけではない。
別れたことが悔しくて、腹立たしくて怒りに打ち震えていると、気が付いたらポンと飛び降りていたのだという。

主人公の女の子は、この話を聞いて学生時代の佳穂のことを思い出していた。
ウサギ当番をしない佳穂を、みんなが責めたことがあった。
彼女は主人公の女の子を連れて、おとなしくウサギ小屋に向かった。
そして餌の入ったバケツを持ち上げると、狂ったようにバケツをそ振り回し叩きつけ、激昂したのだ。

佳穂はケーキを食べるとき、最初にメインのいちごにフォークを突き立て、食べてしまう。
佳穂は自分の自慢話ばかりを並べ、主人公を今も昔も見下しきっている。
決して万人受けするとは思えない佳穂。
しかし怒りを全身で表現し、感情をぶつける佳穂の行動を読んでいると、なぜだろう、完全には憎めなくなってしまう。
死んでしまうほど激しい感情を持つ彼女の素直さに、魅力さえ感じた。

「憤死」に収録されている、「おとな」「トイレの懺悔室」「憤死」「人生ゲーム」は、どれも幼少時代の話が基盤にあり、大人になってから再会したり理解が深まったりして、話が進むという共通点がある。
子どもの時はなんとなく過ぎ去ってしまった体験も、大人になり振り返ってわかることもあるということだろうか。
作品の内容1つ1つだけではなく、本全体の構成からもテーマが読み取れる一冊だ。