卒業重松清著
重松清続きとなります。
哀愁的東京の評は「なんとももの哀しい」の連発で終っていますが、哀愁的東京はもの哀しいだけの話ではなく、やはり重松さんならではの心優しい視点がある様に思います。
まだ幼稚園のかわいい女の子が父親に遊園地へ連れて来られて楽しい思いをする。
その遊園地へ行ったその日に覚醒剤で錯乱状態になった父親に殺されてしまう。
あまりにも可哀想なその話を取材した後に主人公のルポライターは殺されたあかねちゃんという女の子を主人公に描いた『パパといっしょに』という絵本で賞を取り、絵本作家としてさぁこれから、という状態であるにも関わらず、幸せな事の一つも無かったあかねちゃんを題材にした本で賞を取り、しかも事もあろうにそのタイトルは『パパといっしょに』そのなんとも残酷な事をしてしまった思いがトラウマとなり、『パパといっしょに』以降、一切新作の絵本が描けなくなってしまう。
それはもの哀しい反面、人の不幸を書いてその文章を切り売りするルポライターにしてはあまりにも繊細で優しさを持った主人公が浮かびあがります。ですから主人公はフリーのルポライターでは無くやはり絵本の描けなくなった絵本作家が正しいのでしょう。
重松さんの書いているものの底流にはいつもこの優しさがあると思うのです。
『卒業』重松さんらしい四編がおさめられています。
「まゆみのマーチ」、「あおげば尊し」、「卒業」、「追伸」
「あおげば尊し」
ガンに冒され、長くて2ヶ月と宣告された父の最期を自宅で看取る事にし、病院から自宅へ連れて帰るところから始まります。
父は元高校教師。主人公は小学校の現役の教師。
父は厳しくて冷たい教師だった。生徒に好かれたいなどとはこれぽっちも思わず、素行に問題のある生徒は容赦無く切り捨てる。従って卒業生からは顧みられず、同窓会の案内も来ない。教え子の結婚式に呼ばれた事も教え子が家を訪ねて来る事も無く、年賀状すら教え子からは一枚も来ない。38年間教師をしていながら見舞いに来る教え子はもちろんゼロ。それでも自分ほど「あおげば尊し」を歌われるに相応しいと思っている父。
方や主人公も教員生活18年。火葬場へ出入りし、死体に興味があると言う生徒から「何故死体に興味を持ってはいけないのか」の問いに対して返す言葉を持っていない。
「あおげば尊し」を歌われる事に自分は相応しくないと思っている。
話す事も満足に出来ないが最期まで先生であろうとする父と死体に興味がある生徒との出会いを描く。
「卒業」
学生時代の親友の娘が突然職場に訪ねて来る。
親友はその娘がまだ妻のお腹にいる時に、突然飛び降り自殺をした。
なんとも身勝手で無責任な人だった訳ですが、成長してその事実を知らされた娘が父の友人訪ねて来て、なんでもいいから父の事(いや、父親になる前に自殺をしたのだから正確に言えば父親では無い)その人の事を教えて欲しいと。
主人公は学生時代の記憶を辿り、毎日その子の作ったサイトの掲示板へ思い出を書いて行くのですが、親友と言っても20年前の話。2週間も書けばもうネタは尽きてしまう。
『哀愁的東京』の中の「ボウ」という短編にも出てくる話ですが、大学時代の同級生が久しぶりに面会を求めて来たかと思うと「学生時代の自分の事を思い出す限りしゃべってくれ」と言われ、思い出す限りにしゃべってみても5分もすればもうネタが尽きてしまう。こちらは親友という訳では無いのですが・・。
実際にどうでしょう。学生時代、社会人になってからでも構わない。「親友」と呼べる人の事をいざ思い出して書いてみろ、と言われたら果たしてどれだけの事が書けるでしょうか。
2週間もよく書けたという方があたっているのではないでしょうか。
この物語は、苛め、自殺、リストラ・・などなどの重たい課題を背負っている話なのですが、ここでは敢えてそういう重たい課題から焦点をぼかして書く事にしました。
どうも長編でない本の感想というのは物語そのものの紹介になってしまいがちでいけませんね。
「まゆみのマーチ」と「追伸」については内容の紹介はやめにしておきましょう。
この四編の中で私個人として好きなのがこの二編。
特に「まゆみのマーチ」がピカ一ですね。
親の限りない愛情の表現にはいろいろな姿があるものです。
まゆみのマーチの母親はわかっていながらすっとぼけるのが得意な人なんでしょうね。
歌の大好きな娘に、所構わず歌ってしまう娘に対する周囲の苛立ちなどどこ吹く風。ひたすら愛しつづける。
成長しても一箇所に落ち着く事が出来ず、いわゆる世間一般で言うところのはみ出した娘も性根がはみ出しているわけでもなんでも無く、この母娘を理解してしまうと、一般の「普通」という概念がゆらいで来そうです。
主人公(優等生だった兄)が学校へ行けなくなった子供に対して取った行動は決して無茶なものでも何でも無く、ごく普通のもの分かりの良い父親の行動だったでしょう。
ですが、母の死を前にして妹が学校へ行けなくなった時の母親の行動を妹から聞いて、優等生だった兄も読者も「目から鱗」状態では無かったでしょうか。
母の行動はまさしく「まゆみのマーチ」そのものなのです。
ここには余分な事かもしれませんが、2/10のサンケイ新聞の夕刊に重松さんの小編が載っていましたので、それも簡単に紹介しておきます。
『季節風 バレンタイン・デビュー』
21歳になるまでバレンタインデーで義理チョコを含めて一つもチョコレートを受け取った事の無い父親が、高校生になる息子のバレンタインデーをまるで落第確実の受験の発表日の様に扱い、妻や娘にとにかく「その話」をしないように、と厳命し、やきもきしながらその息子の帰りを待つ、という微笑ましい話です。
いいですね。こういう軽いタッチ。
重松さんの作品にはイジメ、自殺、殺人、離婚、哀しさ、はかなさ、トラウマ、人の死、・・・などなどがこれでもか、と散りばめられていますから、そういうものの一切無いこの話、新鮮でしたし、読後ににっこりとする事が出来ました。