北門の狼 (重蔵始末6)逢坂 剛著
主人公の近藤重蔵という人、実在の人物である。
江戸時代の幕僚でクナシリ(国後)、エトロフ(択捉)の日本帰属の礎を作った人と言えようか。
本書の中では国後も択捉もカタカナ表記なので、ここでもそれを倣うことにしよう。
アイヌ民族も本書ではアイノと表記されているのでそれも以下倣うこととする。
近藤重蔵の名前はおそらく日本史の教科書に名前ぐらいは載っていると思うがさほど知名度は高くない。同じ様な位置づけでは樺太へ渡った間宮林蔵の方がはるかに知名度が高いだろう。
本書では重蔵が幕府の巡察使として蝦夷へ渡る。
松前藩の不正を暴き、蝦夷の開拓と海防を幕府の直轄の下で行うべき、との建言のための巡察なのだが、もう一つの目的があった。
重蔵はエトロフが日本領土であることを宣言するために、エトロフまで渡り「大日本恵土呂府(エトロフ)」と記した木柱をエトロフにおったててくるのである。
それより以前に松前藩はエトロフまでを支配し、幕府の地図にも島の名前があったという本もあるが、本書の中では松前藩はクナシリには勤番所を置いていたが、エトロフは交易のみで勤番所も無かったとある。エトロフについてはっきりとここは日本の領土だ!と宣言行為を行ったのはこの近藤重蔵が始めてだったのかもしれない。
その木柱には重蔵本人の名前、同行した最上徳内の名前、さらに念の入ったことにその下には、アイノの主だった人たちの名前も彫らせたのだとか。
のちに見た人がそこに住むアイノ達もちゃんと認めているんだよ、と念を押したかったらしい。
クナシリもエトロフも戦後ソ連に占拠されたまま、ソ連崩壊後のロシアにてもその状況は変わらない。そしてあらためて北海道の地図を見てみると、根室半島と知床半島の真ん中にクナシリ島があり、クナシリ、エトロフの両島はまるで北海道のあんぐりと開けた口に向かって矢を突き立てられているようにも見えてしまう。
ロシアもプーチン以降のチェチェン紛争、グルジア侵攻などを見る限り、ますます昔ながらの覇権国家の姿を表し、領土返還など交渉の土俵にすら上がりそうにない。
既に外交交渉の期を逸してしまったのではないか、とすら思えるほどである。
本書はそんな重蔵のエトロフ行きを書きながらも、もう一つ重要な要素である本来の先住民族であるアイノの人々との接点についての記述がかなり念入りである。
実はこの本と相前後して鶴田知也の芥川受賞作『コシャマイン記』を読んだのだが、片やの重蔵始末が本州人の視点から書かれているとすれば、コシャマイン記の方はアイヌ民族の視点から描かれている。
重蔵始末ではアイノは、蝦夷と呼ばれることを嫌う(夷とは野蛮人の意)とされているが、野蛮人と呼ばれること云々よりも、そもそもアイノ側からしてみれば本州から渡って来た人たちこそが、異民族であり、野蛮人だったのかもしれない。
インカ帝国を滅ぼしたスペイン人、インディアンを駆逐した後のアメリカ人、アボリジニの生活圏を奪った後のオーストラリア人かの如くに。
もちろん、上の様な一方的な武力侵略の例と、当初は交易を通じ、そして永年を経た後に徐々に同化していったものを同じ扱いには出来ないが。
「重蔵始末」という話かなりはもちろん脚色されたフィクションなのだろうが、登場人物にはかなり実在の人物を配しているし、歴史背景などもかなり忠実である。
重蔵がエトロフに渡った際にイコトイというアイノが登場するが、コシャマイン記にも同じ名前のアイヌの酋長が登場したのには少し驚いた。
アイノの人達に溶け込み、髭を伸び放題にしてしまうとアイノと見分けがつかなかったという最上徳内も実在の人物。そのキャラクターは作者の作りかもしれないが。
重蔵は運上屋と呼ばれる現地請負人を使って、アイノの実直な気質につけ込んで分の悪い交易を押し付け法外な利益を上げる、と松前藩を批難するのだが、はてさて幕府直轄にしたからと言って、果たしてアイノの位置付けが変わったのだろうか。
それは明治以降が証明しているか。
元々は、アフガンやパキスタン北部などに今も残っているような部族社会。
部族社会はいつまでも部族社会のまま放置させてもらえない、ということなのだろうか。アイノは交易相手としての存続もままならず、言語も風習も民族も皆同化し、わずかに地名などにその存在の名残りを残すのみになってしまったのである。