NO.6あさのあつこ著
フィリピンの首都マニラ。超高層ビル群があるかと思うとほんの川を一本隔てただけで、ずいぶんおもむきが変わって来る。
川の向こうの全てがスラム街だとは言わないがしばらく歩くと、立小便をするオバサンがいたり、普通に歩いていると怪しげな男達が扇型にの状態で後方から付いて来たり。
子どもなんかにも良く囲まれる。
この一帯、高層ビル群のあるあたりとは建物も全く異なる。
高層ビルが無いだけの話ではない。
何か違和感があると思ったら、よくよく見ると建物に直角が無いのである。
三角定規や分度器を使うまでも無い。
微妙なずれを感じる世界。
川を隔てた都市の中と外。
リゾート地として観光客の多いバリ島。ここでも夜中にホテルを出てみると、真っ暗闇の中に多くの人影がある。
だんだん目が慣れて来て、その存在が見える様になるのだが、この人達はあのホテルの中には絶対に入れない人達なのだ。
ホテルの外から眺めるホテルのレストラン。
そこには優雅で楽しそうに食事をしている人達がいる。
その中と外との距離はわずかでも、中へ辿り着くまでの道のりは果てしなく遠いのだろう。
パキスタンのカラチ。商店があってその中へ入ろうとすると一緒にくっついて入ろうとする物乞いの子供が居た。
商店のオヤジは何を思ったか、その子供の顔面を思いっきり蹴り飛ばしたのだ。
商店の中と外。
中の人達は、外の物乞いを人間とは思っていない。
でなければ、吹っ飛ぶほど顔面を蹴り飛ばしたりはしないだろう。
「おまえ達ゴミの来る世界じゃないんだ」そのオヤジの声が聞こえた気がした。
インドのアンタッチャブル。実際にこの目で見た訳では無いが、アンタチャブルは殴られようと殺されようと何をされようと文句の言えない人々なのだという。
「NO.6」という話、舞台は2013年~2017年というほんの目の前の近未来である。
このストーリーの中では世界中で都市と呼ばれるのは6つだけになっている。
その一つがこの「NO.6」と呼ばれる都市。
衛生管理システム、環境管理システムなどが行き届き、不純なものは自動的に排除され、細菌すらいない。
衛生的で美しく、聖都市と呼ばれている。
衣・食・住にも教育にも福祉にも恵まれている夢の都市、という設定である。
その都市は周辺の地域とは隔絶され、内外の行き来は限られたゲートを通るしかなく、当然の如く外の人間は中へは入れない。
中の人も勝手に外へは出られない。
その外の世界にも当然ながら人の営みというものは存在する。
そのほとんどが西ブロックという地域に集中している。
「NO.6」の中と外、全くの異世界。
中の人間は外の人間を人間としてみていない。
言わば「ゴミ」扱い。
外の世界には秩序と言えるものは全く、無くあるのは「飢え」「貧困」「暴力」「騙し」・・・人を人を信用せず、信用、信頼などと言う甘っちょろい考えの持ち主は生きてはいけない。
頼りになるのはおのれの生命力だけである。
そういう設定の中でストーリーは展開される。
「NO.6」の中にも階級が存在し、一番のエリートは「クノロス」と呼ばれる最も恵まれた地域に住む。
幼児の頃から優秀で、将来のエリートを約束されていおり、かつて「クノロス」の住人だった少年が、西ブロックへ行かざるを得なくなるところから話は急展開する。
その少年の名を紫苑(シオン)という。
西ブロックで紫苑の見たものはこれまでの人生を世界を180度変えてしまうほどのものだったはずである。
だがその少年は自らの境遇を不遇とは思わない。
不遇どころか、こういう世界を知って良かったとさえ思っている。
この外の世界では誰と誰が味方だとか、信用し合ったりたり信頼し合ったりする「仲間」という概念が無い場所なのだが、この少年が「仲間」という概念を周囲に与えて行く。
その仲間には「ネズミ」という聖都市「NO.6」を滅亡させる事だけを夢見て生きている少年。
メス犬の母乳で育ち、自分の母親は犬だと思い、犬に囲まれた生活をし、犬を使って情報屋をやっている少年などがいる。
紫苑はどちらの世界の人も同じ人として見、どちらの世界の人も信用し信頼する。
両世界の異端児なのかもしれない。
その紫苑にネズミは手厳しい。
「温室育ち」「甘ったれるな」「天然ボケ」・・・。
彼らがこの外と中の異世界状態を今後打ち破って行くのだろう。
「打ち破って行くのだろう」というのは、このストーリーがまだ完結していないからである。
#1が出版されたのが2003年、で#2、#3、#4、#5 まで出版されているがストーリーはまだまだこれからなのだ。
2003年に#1が出版された頃、2013年は10年後の世界だったかもしれないが、ストーリーはまだ半ばで2007年になっている。
時代が追いついてしまいますよ、という言葉は無用だろう。
このストーリーに201X年という年代はもはや意味は無い。
そういう設定の話だ、という事で片が付く。
衛生的で何不自由の無い理想的で素晴らしい都市であるはずの「NO.6」には人間が生きて行く上での致命的な欠陥がある。
表現の自由や言論の自由が無いのである。
人の口を閉ざそうとする社会は、いずれ人々に閉塞感が生まれ、やがては崩壊する。
歴史が物語っている。
近未来の監視カメラに囲まれた社会などでは過去の人の口を閉ざす社会よりももっと人々の閉塞感は高まるだろう。
だから最終的には「NO.6」は崩壊するのだろうが、案外この両世界にとっても稀有な存在である紫苑という少年が崩壊では無く、第三の道である共存という結末を到来させるのかもしれない。