カテゴリー: 東野圭吾

ヒガシノケイゴ



パラレルワールド・ラブストーリー


まるで、シュワルツェネッガーの映画『トータル・リコール』の記憶改ざんの世界じゃないか。

自分が生活を共にしている女性が自分の妻でも恋人でもなく、友人の恋人だった。
ずっとそう思い込んでいたものが、ある記憶の断片がフラッシュバックされることで疑いが生じ、その真相を究明しようとする。

人間、誰しも過去の記憶をいいようにいいように改変して記憶してしまう事、往々にしてあるだろう。
そのあたりの記憶の改変にあたってのメカニズムを利用して、本格的に偽装の記憶を作り上げる。
そんなことを研究開発する外資の最先端企業に勤める研究者が主人公たち。

彼には同期で学生時代からの親友がいる。
その親友は頭脳明晰ながら、身体に障害を持っていることの影響で引っ込み思案な性格なので女性にもてるということからは縁遠い男。
その親友から彼女が出来たと紹介されたのが、毎朝山手線と京浜東北線という併行する電車の窓越しに見つめ合っていて、いつしか恋に落ちてしまった女性だった。

この話、記憶を改ざんされた後のシーンと改ざんされる前のシーンが交互に綴られているので、なんでこの男は彼女と平気で一緒に暮らしているんだ、と読者を戸惑わせながら、だんだんと真相に近づいていく。

人間の記憶というもの、断片断片がちらばって、いろんな事象と絡み合って覚えているはずなので、全く無い記憶を作り出すとなると、その周辺の事がらも全部整合性を合わせて作り変えなければならないだろうから、そんじょそこらの技術革新では出来そうにない。

まだ、特定のある日の記憶だけを飛ばす方が可能性としたらあるのではないだろうか。
深酒をして泥酔状態になるまで飲んだ翌日、前日の記憶がさっぱりないなどというのは酒飲みなら若いころには一度は経験しているのではないだろうか。
とはいえ、全く記憶が消えてしまっているわけではなく次の日に同じ場所でもう一度飲んだら、だんだん思い出してくる。などということもよくあることなので、完璧に人為的に消すというのもやはりこれもそんじょそこらの技術革新では出来そうにない。

しかし、世の中にはマインドコントロールというものもある。繰り返し繰り返し言われ続ける事で自分なりに周辺の記憶までも改ざんするというのはあるのかもしれない。
それでも無かった事実まで作り上げるわけではないだろう。恋人でもない人とあたかもずっと恋人だと信じて一緒に暮らしている、これはもしあるならば、マインドコントロールではなく拉致監禁ぐらいでしか考えられない。

やはり、記憶を操作するなど人間の行うべき研究ではないということだろう。

「パラレルワールド」というタイトルからしてもっと別の世界を期待していたが、こう来たか。
それにしても東野圭吾という人、いろんなものに手をだすが、とうとうこんなジャンルまで手を出してきたか。
この人の才能もある意味人知を超えているのかもしれない。

パラレルワールド・ラブストーリー   東野圭吾 著



人魚の眠る家


この本で脳死の本当の意味が初めてわかった。
脳死と言う状態はあり得て、それを死と見做すのか生と見做すのかがちまたで議論されているものだとばかり思っていた。
臓器を提供する意思を本人なり家族なりが示して初めて脳死の判定が行われるのだそうだ。
提供の意思無しでは、いわゆる脳死状態であっても脳死でもなく、もちろん死亡でもない。
心停止を待って初めて死亡となる。
つまるところ、家族の意思次第で本人は生きていることにもなり得るし、死んでしまったことにでもなり得る。

なんとも重たいテーマに取り組んだものだ。

6歳の女の子がプールで遊んでいる時に、排水溝へと吸い込まれそうになり、浮かんで来ない。気付いた大人が助け出すものの、意識は戻らないままとなる。

可愛い盛りの娘の意識が戻らなくなって、ショックままならない状態の親を前にして医者は結構冷徹なことを言い始める。
娘さんの臓器を提供するお気持ちはありますか?と。
いきなり、そこですか? ってなるよなぁ。
もう意識が無い状態がかなり長く続いて、涙も枯れ果てた頃ならまだそういう事への判断も冷静になったかもしれないのに。 いや、これは一般的な話で、この両親にはたぶん当てはまらない。

たまたま、父親が介助のための脳からの伝達の装置やら、視覚障害者へ信号を送る事で、障害物を避けながら歩行することを可能にするような装置を開発している会社の社長だったこともあり、つてを辿って、まずは人工呼吸器無しでの呼吸を可能にし、病院を退院して自宅で奥さんが看護にあたる。

そのあとがだんだんすさまじくなっていく。
奥さんが希望の光を失ってしまわないように、そのたっての希望をかなえようと、会社の技術者を家へ出入りさせ、背中の脊髄に信号を送ることで、手をあげたり、下げたりなども出来るようになり、それがどんどんエスカレートして行く。

奥さんにしてみれば、娘はまだ生きているのよ、ということなのだが、はたから見た人には、死人の身体を無理矢理、機械で動かしているだけにしか見えない。
だが、筋肉を動かすことで全身の血色も良くなり、年を経る毎に身長も伸び、どんどん成長していくのだ。

方や、実際に臓器移植が必要な子供の患者が多くいて、日本国内でドナーを見つけることはほぼ不可能なので、アメリカへ行かざるを得ない状況がある。
その費用たるや、億を超える金額で、とても一般の勤め人に賄える金額ではない。

そういう状況の中、物語は進んで行く。

何が正解なのか。
作者はどちらを正解と思っているのか。

読んでいる立場としては、どんどんエスカレートしていくこの奥さんに誰かブレーキかけなくていいのか、とか、弟があまりにも可愛そうだろ、とか思ってしまうのだが、刑事を自宅へ呼んで、意識のない娘を刺し殺したら私は殺人罪になるのですか?皆、娘はもう死んでいる、と言っている。もう既に死んでいる人間を刺した私は殺人になるのですか、と問い詰めるあたり、かなり理路整然としている。
作者はシロとでもクロとでも言える現在の日本の法制度を憂えているのだろうか。

途中までは、もはや異常だ、と思えたこの奥さんなのだが、エンディングまで読んでしまうと、案外この奥さんが正解だったのかな、などとも思えてしまう。
まぁ、正解なんて無いんでしょうけどね。

人魚の眠る家 東野 圭吾 著



ナミヤ雑貨店の奇蹟


東野圭吾ってこんな本を書く人だったっけ。

一軒の雑貨屋を経由して過去と現代がつながる。

近所で犯罪を犯して逃亡する犯人たちの車が故障。やむなく駆け込んだのがもう営業もしていない廃屋同然の雑貨屋。

この雑貨屋、かつて店主が悩み事の相談を受け付け、シャッターの郵便受けから相談事を書いた手紙を入れておくと翌朝、牛乳ボックスの中に店主が書いた返信が置かれる。そんなやり取りを店主と相談者はかつてしてきていた。

で、犯人たちがここへ到着すると、シャッターの郵便受けから相談事が舞い込んで来る。

三人の犯人の中でも、その取扱いについては意見が分かれるのだが、結局、結構適当な回答をしてみたところ、即座にその回答に対する返信が投げ込まれる。

3人は現代に居ながら、30年以上の過去の人への相談にのってしまっているのだ。
そうして過去の人への相談、回答のやり取りが続く。

また、章が変わると話はナミヤ雑貨店の店主が健在だった頃の話へと移って行く。

店主の物好きで始めた悩み相談なのだが、果たしてその回答を受けた人たちは、果たして幸せになったのだろうか。
それが知りたくなった店主の元へ30数年後の未来の相談者からのお手紙が届く。

この物語では何人もの相談者が現れるが、皆それぞれがなんらかの形で繋がっている。
また、相談を受けた人の結果を受けて、他の登場人物の人生が大きく変わるなんてことも。
まぁ、小さい町なんだろうから、それなりに皆が知り合いで少々繋がっていたっておかしくはないのかもしれないが。

オリンピックの代表候補になった女性からの相談事。
ミュージシャンを目指すが鳴かず飛ばずの男性からの相談事。
女手一つで子供を産んで育てられるかという相談事。
両親が夜逃げをしようとする家の子供からの相談事。
会社の事務職では稼げないので水商売に踏み込んだ娘からの相談事。

店主が回答したものも、未来の3人が回答したものも入り交じる。

未来からの回答として、それはちょっと違反じゃないのか、というのも。
相談者にその後のバブル全盛期の到来とバブル崩壊、そしてインターネットの普及とそれに伴うビジネスの時代が来ることを別の表現で教えてしまっている。

・相談者はすでに答えを持ってる
・未来は自ら切り開くもの

という店主のポリシーからこのケースははずれているのだが、それでも成功をおさめたのはその相談者が自ら未来を切り開いたから、と曲解できなくもない。

かなりいい話が満載なので、本当に東野圭吾なのか?
とは思ってしまったが、東野ワールドにいい話が無いと言っているわけじゃない。
こういうほんわりあったかい感じのいい話はあまり記憶にない。

ストーリーも舞台だても全く違うが、同じ歴代東野作品の中では娘の身体の中に妻が入り込んでしまう「秘密」なんかがイメージ的に近い気もする。

こういう東野作品も悪くない。

ナミヤ雑貨店の奇蹟 東野 圭吾 著