ビタミンF重松清著
ひとの心にビタミンのようにはたらく小説・・、Family、Father、Friend、Fight、Fragile、Fortune F で始まるそれら言葉を、作品のキーワードとして埋め込んでいった・・・と作者は後記で述べています。
「ゲンコツ」という話。
若い連中と、カラオケへ行っては仮面ライダーの主題歌を歌い、「変身!」「とぅー!」とジャンプしたりするオヤジ。なんともはや・・・「若い頃」といった言葉に抵抗がなくなった、という表現が用いられているが、もはやそんなレベルではないでしょう。
若者達は「痛いオヤジ」と呼んでいるに違いないでしょう。
暗くなった時間にたむろする若者達におびえるオヤジ世代。
幽霊が恐かった子供の頃よりも38年も生きて充分すぎるほどの大人になって、夜道が心細くなる、というこのオヤジ世代。いや世代というよりこの人達というべきではないかと思いますがいかがなのでしょう。
そんなオヤジがちょっとだけ勇気を出してみたというお話。
「はずれくじ」という話。
中学生の息子が同級生のパシリに使われている。
それを心配する父親。
心配する必要などこれっぽっちもなかったのに。
最後の小編「母帰る」。
これはちょっといいですね。
主人公は37歳。
身勝手とも思える母の出奔。
しかしながらその出奔は親としての勤めを全て終えた後の出奔。
娘も息子も結婚して家を出たあとのこと。
まだ子供達が成長期なら「なんと無責任な」と周囲が憤っても無理はないが、その勤めは全て果たした。
老いて残された父は潔いし、そんなことも良く理解している。
なかなかに良く出来た父なのでした。
その他いくつの小編がありますが「母帰る」以外でほぼ共通しているのは、主人公ほぼ同年代の中年男で、中学生か高校生の子供がいる。
子供と母親は意識を共有し、思いを共有するが、父親の自分だけはその共有するものから除外されたポジションにいる。
また、それを知ってショックにおちいる。
それがそんなにショックを受けるほどなのかは人それぞれでしょう。
外で仕事を持つ男ならもっと最悪な家庭状況ならともかくもこんな程度のこと、いちいち気にとめていたら仕事にならないでしょうし。
妻と子供が共有するものを持っているだけでも充分だとも思えますが、それも人それぞれでしょう。
「トワイライト」の登場人物たちもちょうど同じ世代。
回顧的なのはいいんですけれど、まるで「回顧する」即ち「現在の敗北を認める」みたいな印象が残ってしまいます。
家庭に疎外感?みたいなものを感じたとして、それは悩む対象なのでしょうか。
そんな人が居れば、「開き直れよ。男達!」
と言ってやりたいですね。
いつでも出ていってやるさ。
とか。
俺が目障りとかガタガタ言ってんだったらよ、1DKか2DKのアパート借りてやっからさぁ、生活費ぐらい出してやるから、さっさと俺の眼の前から消え去れよ。
さっさと眼の前から消えてくれよ。
と、まぁそこまでは、極端としても心積もりとしてはそれぐらいのことを思ってなければばかばかしくって年もとれないでしょう。
重松さんの作品、さぁて、ビタミンは効いてきましたかでしょうか?
ただ栄養剤とかビタミンってもともと効いた気がするっていう類のものなのでしょう。
効いた気でまぎらわすより、しっかりと自らの立派な開き直りを出してみましょうよ。
お父さんたち。
せっかく一生懸命に働いて来たんだから。