だれも知らない小さな国


これか。
半世紀以上前に書かれたコロボックルの話。

こっちの主人公の方がコロボックルと距離感が近いが、そうなるまではコロボックルはかなり用心深い。
主人公が小学生の頃から、味方になれる人かどうかの観察を続けて、大人になってもその小山を大事に守ろうとする人だとわかって初めて正体を表す。

有川浩の書いたコロボックルがまだ小学生の主人公にいきなり正体を表してしまうのよりかなり慎重だ。

男の名前には「ヒコ」女の名前には「ヒメ」が必ずつくのは同じ。

ここの地方では古くから「小法師さま」(こぼしさま)と呼ばれている。

大国主の命の時代のスクナヒコが祖先というのもいいですねぇ。
古事記の時代から、人間と共存して来たという話づくり、なかなかにいいですね。

その「こぼしさま」すなわちコロボックルの住む山に危機が訪れる。

高速道路の計画地になって、いよいよ全員が引っ越しを覚悟せねば、となってからの対抗措置がすごい。

地主たち、役人たちの寝ざめの枕元でのささやき作戦。

これって彼らの土地を守る作戦なのでやむを得ないのでしょうが、なんだか人を洗脳していく作戦のようで、ちょっと実はちょっと怖いやり方なんじゃないのかなぁ。

高速道路のために土地を売る事を「仕方ない」と思っていた人の枕元でささやき続けることで、だんだんと「反対しなきゃ」と皆が心変わりして行く。

コロボックルは超高速移動が出来るので人の目には映らない。

平成の今ならかなりいろんなところに監視カメラがあるので、彼らがどれだけ、高速移動できようが、再生を超スローで行えば、その存在は発覚してしまうだろうが、この時代なら大丈夫だ。

人の目には映らない隠密作戦が出来てしまうわけで、どんな機密情報も仕入れようと思えば仕入れられてしまうし、その上、ささやき作戦などで洗脳まで出来てしまうなら、もはや最強じゃないか。

なーんてことを考えることそのものが、この物語や有川浩の物語に登場する主人公たちのような純粋さをもはや持って無いってことなんだろうな。

目の前にコロボックルが現われるなんてことは一生無いんだろう。

だれも知らない小さな国    佐藤 さとる著