廃墟建築士三崎亜記


「七階闘争」「廃墟建築士」「図書館」「蔵守」の四篇が収められている。

いずれも非現実な世界。
いわゆるシュールと呼ばれる世界かもしれない。

非現実の世界でありながらも、現実社会を眺めているようなアンチテーゼ。
それが作者の狙いなのだろうか。

七階も廃墟も図書館や本も蔵守や蔵も何かのメタファーなのだろう。

狙いや発想は面白いのになんなんだろうこの後味。
なんだろう、このなんとも言えないこの残念感。

マンションやアパートの「七階」で犯罪や自殺といった事件がたまたま何件か続いて発生した事に端を発する「七階闘争」。
市議会では「七階」の存在が問題の根源だという馬鹿馬鹿しい事を言い出す議員が現れたといたと思いきや、市長もそれに賛同し、「七階」を撤去する方向でに決する。

そこで、七階を守る側の人間による「七階撤去反対闘争」が始まるわけだが、ここでいう七階とは、縁起を担いで四階や四号室を設けないビル、13階か13号室を設けないビルとは全く意味が異なる。

四階が無いということは便宜的に4階を5階と呼ぶだけのことなのだが、古来より7階は希少で12階建ての建築物に遅れる事200年後に7階が出来た、様は7階は迫害されて来た云々。
1階にあろうが7階と命名すれば、それは7階となる云々。
建設して間もないビル全体の各部屋に7階だと刷りこめば、各部屋は自分を7階だと思う云々。
もはや、7階とはもはや階層を表すものではないらしい。
歴史的に迫害されたり、闘争運動を起こすあたりは何かの解放同盟のようでもあり、それでも7階からの眺めが好きだというあたりはやはり階層をも表しているのか?

「廃墟とは、人の不完全さを許容し、欠落を充たしてくれる、精神的な面で都市機能を補完する建築物です。都市の成熟とともに、人の心が無意識かつ必然的に求めることになった『魂の安らぎ』の空間です」と主人公の廃墟建築士が語るところから始まる「廃墟建築士」。
この小編では「廃墟の存在こそ国の文化のバロメーターだ」という定義付けがなされている。
その展開、素晴らしい。
物凄い作品なのかも・・・と一瞬思うのだが・・・。
それから先が「偽装廃墟」が問題になって・・という展開になってかつてどこかのニュースで問題になったような偽装問題になって行く。
なんとも残念でたまらない。

図書館では本が夜になる野生になり飛び回るわけだが、物書きなら図書館という建物はともかくももっと「本」というものに思い入れを持ってほしい気持ちが残る。
美術本は華麗に飛び、新しい本は飛ぶ事を躊躇し・・などというぐらいでは本に対する思い入れがあまりに安易じゃないか。

我こそは孤高の人とばかりに孤高の道を行く本や本失格とばかりに他の本を道連れに川に飛び込む本。
左と右での論争ならぬ衝突をする本達や、ひたすら他の本を救おうとする本。
本が飛び交うにしたってそれぞれの作者や愛読者の気持ちまでもメタファーに取り入れたなら、この物語はもっと凄いものになっていたのではないだろうか。

蔵を守ることしか頭になかった蔵守と蔵の世界。
これがこの四篇の中では秀逸だろう。
ほとんどこの世の中の大半を言い当てているのにかなり近い作品なのだが、作者はどこまで意識していたのかわからない。
物語としての収まりが悪いように思えてならない。

つまるところ、出だしは全て期待させられるものの最終的に全て「残念」で括らせてもらうことにする。
蔵守はいっそのこと途中で終えておけば良かったのになぁ。

廃墟建築士 三崎 亜記 著 集英社

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