カテゴリー: あさのあつこ

アサノアツコ



待ってる 橘屋草子


「橘屋」という料理茶屋に奉公に来る人たち一人一人にスポットがあたる。
それぞれが独立した小編ながら、全て「橘屋」という料理茶屋で繋がっている。
皆、一様に貧しく、不幸を背負って立ったような人ばかり。

三年間は無給の住み込みで、12歳で奉公にあがった娘。
三年を過ぎれば自分が家族を支えられることを励みに仕事をしてきたのが、ある日、家族は娘に何も言わずに消えてしまう。
そんな娘の話。

亭主が倒れて金がいることにどんどん付け込まれる女性の話。

父は酒に飲んだくれて仕事をしない。愛想を尽かした母は家出をしてしまう。
そんな小僧の話。

なんだか不幸な人々が奉公人として集結してきたかの如くだ。
さもありなんなのは、女中頭のお多代という人がそういう境遇の人を奉公人として面倒みようという人だからで、この人が非常に個性的。

とにかく奉公人に厳しい。
厳しいがその厳しさの裏には優しさがある。
そして人を見る目がある。
奉公人を見る目もそれに言い寄って来る外の人間も目を見ただけで、ありゃ女衒さ、と軽く見抜いてしまう。

いくつかの小編がこのお多代さんを経由することで知らぬ間に長編になっていた。いわゆるオムニバスというジャンルになるのだろうか。

それぞれに不幸な話が満載だが、それでいて希望が無いわけじゃない。

皆、それぞれに救われている。

あさのあつこという人、こんな本も書くんだ。

そのあたりが若干に新鮮。

待ってる あさのあつこ 著



神々の午睡


これって一神教の国じゃぁ、まず販売されない本なんだろうな。

有史以前のお話。
大神さまは百何十人の妻を娶り、三百何十人という子供を持つって、どれだけ精力有り余ってんだか。

大神の子供たちは全て箜(クウ)と呼ばれる存在となり、その中の一握りが神になる。
人間と神が身近な場所で共存していた時代の話が六編ほど。

雨を司る神に任じられた姉。
新たな神が誕生すると人々は祝祭を催す。
その祝祭の贈り物として祝祭に間に合わせるために命の削って神飾りを作る職人。
雨の神である姉は、その人間に恋をしてしまうという話。

いたるところに登場するのがグドアミノという美形の死の神。
死の神って、つまりは死神か。

風の神、沼の神、戦の神、音楽の神・・・などなどが登場するが、よくよく考えてみると全部腹違いの兄弟なんだよな。

「盗賊たちの晩餐」という話がなかなか良かったかな。
酒場で「穴倉」に集結したかつての盗賊達。
全盛期の仲間達は皆、捕まえられて牢獄に。
仲間を助け出さないことには引退する気にもならない。
牢獄破りを綿密に計画するにあたって、どうしても仲間に引き入れないといけないのが、その酒場で歌っていた若い娘。この娘を一人前に教育して風の神のサンダルを失敬し、それを使って仲間を助ける計画。

神に近付くための教育を施したこの娘、実は神だった。しかも盗むはずの・・・。

というような話。

あさのあつこさんのこういうジャンルははじめてだ。
元々こういうジャンルも書くんだったっけ。

現代ものではあきたらず、とうとう神話まで書いちゃった?



晩夏のプレイボール


ちょっと季節はずれではありますが、夏の甲子園を目指す高校球児を主人公とする小篇が10篇ほど。

高校野球は季節はずれでも高校サッカーや高校ラグビーはこれからが全国大会。
アメフトのように出場チームの少ないスポーツならリーグ戦で一度負けてもまだ先があるが、野球やサッカーのような出場校の多いスポーツは過酷だ。
トーナメント。この制度はたった一つだけの勝者の椅子を争って、残りの何千校はどこかで必ず敗者になり、その舞台から姿を消す。

全国でただ一つのその椅子を目指している学校はまず稀だろう。
目指すのはまずは全国大会への切符。
野球ならもちろん甲子園への切符。

高校のスポーツというのは何か特別なものを感じる。
高校3年間とはいえ、野球であれば夏の甲子園まで2年とほんの数カ月。
サッカーの場合は、全国大会の選手権を目指すのはスポーツ推薦を目指す選手や、高校、大学とエスカレーターになっている一部の私学は別だが、一般の大学進学を目指す選手たちは大抵、春のインターンシップ予選で敗退したところで引退が決まる。

その最後の大会での全国出場を目標に中学時代から、もしくは小学生から、中には幼稚園時代からずっと練習して来た選手も居るだろう。

なんだろう、あの高校時代ならではの最後の大会に負けた時に感じる「あぁ、これで終わったな」という感じは。
他の大会、中学でも大学でももちろん社会人でも感じたことがない、あの「終わったな」という独特の感じ。

野球はまだ同点なら延長戦をしてくれる。
キッチリと負けを認めさせてくれる。
高校サッカーの場合は全試合の三分の一近くは同点の末、PK戦で勝者が決まる。

一点も失点していなくても・・・
こちらのゴールが脅かされることなど一度もなくて、押して押して押しまくって相手はかろうじて失点を免れたに過ぎない相手であっても、いやそんな試合ほど、PKの神様は逆を指名する。
今年の駒野ではないが、PKを外した選手は茫然自失状態。
誰も責めてなどいない。
どちらかのチームの誰かがはずさない限りは終わらないのだから。
誰かが、その「はずした」という咎を被らないことには終わらない。
なんて酷な体験を高校生にさせているのだろう、と見るたびに思うが、それもやがては苦くて貴重な思い出となって行く。

ついついサッカーに逸れてしまうが、この本はもちろんサッカーのことなどは一文字も出て来ない高校野球の話である。
それでも思いとしては同じ高校スポーツとして通じるものがある。

この本に10篇の物語がある如く、全国の何千校の球児たちにも何千の物語があるのだろうし、サッカーにも他のスポーツにも毎年、何千の物語が生まれているのだろう。

そんな何千何万の思いを集約したかのような短篇集。

あさのあつこという人、良くこれだけ高校球児に思い入れがあるものだ、と感心してしまう。
「女の子はグラウンドに立てないのか?」と中学を目前にショックを受ける小学生野球少女が登場するが、それこそ、あさのあつこさん本人じゃなかったのだろうか。
などと勘繰ってしまう。

どの話もなにか胸に来る話ばかりではあるが、最初と最後がやはりいい。

「終わってない。まだ俺たちの夏は終わってない」それは簡単に諦めるなよ、という若者達への強いメッセージでもある。


晩夏のプレイボール あさのあつこ著