貧者を喰らう国  中国格差社会からの警告阿古智子


中国という国を語るに当たっては、その語る人の立場、政治的信条、見てきたもの、地域など、百人の人が語れば百通りの中国があるのではないだろうか。

特に上海をはじめとする沿海側の富裕層の多い地域と地方の農村との間の格差は、日本でいくら格差社会だ、格差社会だと言ったところで到底その比ではないだろう。

本書はタイトルこそ「貧者を喰らう国」といかにもおぞましいが、筆者の記述からは、寧ろ中国の人達への深い愛着、愛情が感じられる。

1990年代の政策が推し進めた売血。
河南省の人は血を抜くという行為を元々は嫌悪していたのだそうだが、売血することで得られる収入を糧にせざるを得ない状況とあまりにひどい衛生状況、注射針の当然ながらの使いまわし、それらの結果、大量のHIV感染者を出した地方。
その地方のことが海外メディアなどから知られそうになるとそこの地方長官は平然と「お前らなんぞが生きているから厄介が起きるんだ。全員死んでしまえ」と平然ののたもうたそうだ。

話題はHIV感染者の話から農村の話へ。
農民だけに課された過酷な税金。

その末に農業に限界を感じ、出稼ぎに出る農民工。
中国では戸籍というものが農民への縛りとして機能していることが良くわかる。
彼らはどこへ出かけて行こうが、都会の市民戸籍とは分離された農村戸籍であり、どこへ行こうが農民工でしかない。

中国の発展はあまりに目まぐるしく、少し前の本でも、根っこは同じでもまず現在の状況とは違うだろうと、ごくごく直近の近代史的に読んで行くことがままあるのだが、この本の出版は2009年9月、まだ1年と経過していない。

6/29(本日)の日本経済新聞のTOP記事はコマツの中国の16子会社の社長をすべて中国人にする、というものであった。
また、最近良く目にする記事では中国の工場での賃上げストが多発している、というもの。

確実に中国の人達の人件費は上がって来ているのだろう。

方や上海万博を取り扱ったドキュメンタリーでは、万博で浮かれる人たちを遠目で見ながら、地方から出稼ぎに来た労働者は、万博へ入場するなどとはこれっぽっちも思わず、わずかな職を求めて来たのだが、やはりダメだと地方へ帰って行く姿が映し出されていた。

上海で急増したと言われる蟻族なる若者達。
この人達も職がない人達なのだが、同じように職の無い農民工と彼らとでは決定的な違いがある。
彼らは大学を出たもののホワイトカラーの職を得られない。
農民工達はそんな職を選ぶことすらしていない。

今年になって発表された中国の所得倍増計画なるもの。
かつての日本の所得倍増計画を思い起こさせるが日本のそれが一億総国民に対するものであったのに対して、中国のそれはどうなのだろう。

やはり恩恵を被るのは特定の人々ということになるのではないのだろうか。