ハードル 真実と勇気の間で
これも「ハッピーバースデー」に登場する「あすか」と同様に夢物語でしょう。
こんなにもしっかりと自分を見失わない子供達が出てくればいいのに・・という夢物語でしょう。
そもそも子供が万引きをしたかどうかなどをどうでもいい事と捉え、それよりも中学受験の方がよほど大切だ、と考える母親の元で育った子供でありながらどうしてこれだけ正しいものを真っ直ぐに見据える心、信念、行動力、勇気が培われたのでしょう。
父親の教育が良かったわけでも無い。父親は教育に関与していない。
こんな素晴らしい子供が誕生する土壌はこれっぽっちもないのに、主人公の麗音(レオン)は、受験よりもはるかに大切なものを既に小学生6年生から知っていた。
そして親の言いなりになって堕ちて行こうとする自分を裏切った同級生さえ救ってしまう。
作者は、この本を児童書として書きながらも半分以上の気持ちではその親達にこそ読んでもらいたかったのではないでしょうか。
父親は失職と共に徐々に人間らしさを取り戻すが、失職した事により父親とは別れて暮らす事となり、これまでの都会から地方へと転居する。
その地方の中学でレオンを待っていたのは友情では無く暴力的ないじめだった。
この「ハードル」という本、「ハードル2」と続きになっています。
「ハードル2」では「声をあげる」事の大切さがテーマです。
子供が大人に対してどうどうと声をあげる事の出来る環境。
実は私の育った環境はまさしくそういう環境でした。
新興住宅地と言えば格好いいですが、単なる新興の団地です。
私の友人に全くその正反対の環境で育った人がいます。
彼の育った環境は、このレオンが引っ越して行った地方の環境に若干近いです。
子供が大人に意見などしようものなら、とたんに引っ叩かれて、子供は黙って大人の言う事を聞いておいたらええんじゃ、というのが彼の育った環境。
但し、レオンの引越し先との違いは子供が一旦間違った方向へ行こうとしたなら、地元の大人から若い衆がちゃんと矯正させる力を持っていた事で、レオンの場合の様ないじめを放置するような土地柄では無い。
私どもは大人に意見をする事の出来る環境を持っていたが、核家族で世代を跨いでの交流も無ければ、隣組的なものが一切無かったのに比べて、彼の育った土地では言いたい事を言ったらポカリッとやられる代わりにいくらでも近所にいくらでも兄貴も姉貴も叔父、叔母、祖母、祖父に相当する人が居り、一軒でお葬式でもあれば、近所中から手伝いの人が湧いて来る。
どちらが子供の成長の環境にいいのかは歴然でしょう。
作者の意図は良くわかったし、読んでレオを好きにならない人もいないでしょう。
ただ、作者も少々行き過ぎでは?と思ってしまうのは老婆が戦争に突入していくあの時代を回顧して「声をあげればよかった」と言い、それに中学生が影響される、というあたりでしょうか。
あの時代にも実際に「声をあげた」人は山ほど居るが、どうにもならなかった事は歴史が物語っている。
もちろんこの物語そのものが妄想と言ってしまえばそれでお終いですが、こんな勇気と連帯感を持った少年達が出でて来る事は望ましいく素晴らしい事に違いないでしょう。
より多くの大人が読む事で妄想、夢想、夢物語と思われるフシも現実になるかもしれませんよ。