愛妻納税墓参り
最近の新入社員はそろって空気が読める人間ばかりだと誰かが嘆いていた。
KYという言葉が一時流行ったっけ。
空気が読めないやつは嫌われるんじゃなかったのか?
怪訝な思いで聞いていると、廻りの空気ばかりを気にして自分の考えを持っていないんじゃないか。本音は何を考えているのか、さっぱりわからない、というのがその嘆きの主旨だった。
何を考えているのかわからないなら新人ばかりじゃあるまいに。
年配の連中だって本音のわかるやつなんて、そうそういないんじゃないのか。
まわりの空気ばかりを気にし過ぎて、上役のご機嫌伺いばかりしているやつなんで山ほどいるだろう。
三宅久之さんは周囲の意見に流されることなく、本当にぶれない人だった。
周囲全員が消費税増税反対!と言う中で、一人、老いも若きも金を使った連中から税を調達する、一番公平じゃないか!
年寄りだけがもらうばっかりじゃ、若い連中に不公平だ、と自論を曲げなかった。
三宅さんが一言発すると、廻りの反対連中もしーんとなる。
三宅さんは頑固一徹の空気が読めない人なんかではなく、空気さえも作ってしまう人だった。
「愛妻納税墓参り」この言葉、三宅さんの口から発せられるのを何度も聞いた覚えがある。
戦前、戦中、戦後の話などは生き字引のように語られる、三宅さんの言葉にはいつも説得力があった。
その三宅久之さんの回想録を三男の三宅眞さんがまとめているのがこの本だ。
一昨年の春ごろだったか、テレビ出演やら講演会やらの政治評論家活動の引退を宣言される。
それでも人生の幕を下ろす前にこれだけは、と思われたことが「安倍晋三をもう一度日本の総理大臣にすること」だった。
まだ本人すらその時期では無い、と思っていた時に本人を説得し、周囲にその空気を作り上げて行く。
三宅久之さん無くして今日の安倍内閣は誕生していない。
かーっと怒ったじかと思うと、次の瞬間にはもう愛くるしい(などと言えばおこがましいが)笑顔でニコニコしていらっしゃるあの笑顔。
回想シーン以外であの笑顔を拝むことはもう無くなった。
残念でならない。