立ち向かう者たち
ショート・ストーリーが八篇。
「立ち向かう者たち」
知能障害のある男の裁判の風景が舞台である。
容疑は女子高校生の背中から火の付いたタバコをポイっと入れた事。
被告はその前にもエスカレーターの前に居た女子高生の足をカッターで傷つけるという事件を起しており、今回の事件はその執行猶予中のこと。
被害者の父である主人公は裁判所に呼び出される前から、そんな大したことなのか、という思いがありながらも妻と娘の前では言い出せず、証言台でもそういう場面での台本どおり、
「娘のショックなどを目の当たりにすると・・・・
・・・・・厳正なるお裁きをお願いしたい」
などという言葉が自然に出てしまう。
そして、自分の語った言葉に「本当か?」「本当に自分はそんなことを考えていたのか」と自問する。
主人公はこの裁判を通して、容疑者と自分を重ねてしまう。
五十前まで生きて来て、ものわかりが良く、腰が低く、怒りがないわけではないが、怒る前に「怒ってもはじまらない」という諦めることが身に付いてしまっている自分を自覚している。
被告は永年勤めた家具工場は倒産し、障害者センターの掃除の仕事をわずか月給800円で行っている。時給でも日給でもなく、月給が800円。バングラディシュだってそこまで賃金が低いことはないだろう。
被告は何故そこに自分が居るのかさえ明確には理解していないのだろう。
全て人からこう言え、ああ言え、と言われたことを自分なりに理解したつもりで応えている。
このストーリーのタイトルが何故「立ち向かう者たち」なのか、読者はなかなか理解に苦しむところだろう。
その答えは「相手が若い女性でなく、男性だったらそれは悪いことだと思っていますか?」に対する被告の応えに表れる。
被告は、不公正な世の中で、存在を全て自分で引き受け、他人のせいにするでもなく、ただ淡々と自分なりのやり方で、過酷な世界に立ち向かっている・・・。とそう思える主人公は真摯な生き方をして来た人のように思えてならない。
またそれを著す作者も。
何より「生物兵器ってライオン?」と聞く弟を楽しいヤツと思えるこの被告の兄とその家族はつくづく包容力の大きさに人たちなのだろうなぁ。
他の七篇ふれてみようと思ったが、これ以上書くとあまりにも長文になってしまうのでこのあたりで筆をおきます。