カテゴリー: 宮城谷昌光

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湖底の城


元は楚の国の重臣の息子でありながら、呉の国に仕え、武人、政治家として名を残した伍子胥という人の話。
第一巻から第四巻までを読んだが、話はまだ完了していない。
第五巻以降はまだ発売されていないのだ。

これまでの出版タイミングをみる限り、おそらく来年の発売になるのではないだろうか。

「湖底の城」という本、宮城谷氏にしてはかなり創作が多い方だろう。

もちろん過去の「孟嘗君」などもかなり創作が多かっただろうし、他の著作ももちろん史書にあることだけでなく、創作を混じえていることは確かだろうが、他の作家と比べると、かなり史書に忠実で、その史書にない箇所をおそらくこういうことだったのではないか、と想像をめぐらせた上での創作だったろうと思う。

第一巻では楚の国の中で兄が統治する呉の国に最も近い邑へ赴くのだが、その道中でも出会う人が皆、将来大物になる器だと一様に言っていたり、兄の臣下を集めるために武道大会のようなものを開催したり、その中の闘いぶりから、英傑を選抜したり・・と、他の作品のような「何々の史書の中によると」という記述がほとんどないので、大半は創作なのだろうと勝手に想像してしまう。

同時並行で書かれていたであろう「三国志」などに比べるとその違いは顕著だ。
「三国志」の中でも思い入れの強い人への表現や、個々の記述は創作だろうが、基本的に史実(史書に記述のあるもの)に沿って書かれている。

史書にはこうあるが、実はこうではなかっただろうか、などと言う書き方も数多あり、そのあたりの史書の裏を読んだり、史書に記述の無い箇所や風景をまるでタイムスリップでもして来て見て来たかのように埋めて行くのが宮城谷作品の真骨頂だ。

それに比べると、この本はかなり勧善懲悪がはっきりしすぎていて、宮城谷作品の中ではわりと軽い読み物の部類だ。

父と兄をおとし入れた費無極はもちろん悪玉。費無極の言いなりの楚王もとことん悪役。

父と兄が牢に入れられているところを奪取しに行こう、と潜入するあたりや父と兄が処刑されるところを救出しにいうあたりは完璧に創作だろう。

多くの人が書いてきた三国志だけに宮城谷色ならではの三国志を描くのはかなり骨の入る作業だっただろう。そのさなかの息抜き的な作品、と言っては言い過ぎだろうか。

と、書くとまるで「湖底の城」をけなしているように思われるかもしれないが、どうして、これはこれでやはり面白い。

巻末に物語とは関係なく呉と言う国と仏教の関係を解説しておられるのも非常に興味深い読み物である。

如何せん、まだ途中なのだ。

第五巻で完結するのかどうかもわからないが、第五巻が出版された時にこの面白さの余韻を残していられるだろうか。

たぶん、最初から読み直さなければならないのだろうな。

湖底の城 -呉越春秋- 宮城谷昌光著 第一巻 ~ 第四巻



海辺の小さな町


ある青年が住み慣れた東京で受験せず、愛知県の大学へ進学し、知多半島と思われる海辺の小さな町で暮らした4年間を描いたもの。

宮城谷昌光と言えば、中国古代の専門家。中国古代ものと言えば宮城谷昌光以外の名前はそうそう浮かんで来ない。
そんな宮城谷氏が、日本を舞台にした現代の青春小説を書いているというのを聞き及んで早速、購入に至った。

確かに青春小説には違いないだろが、ずいぶんと良く出来た学生さん達なのだ。
今どき、こういう学生さんにに巡り合うことはそうそうないだろう。
学生というより書生さんという言葉がぴったりとくるような学生さん達だ。

下宿へ入ったその日に隣の部屋の同じ一回生と早くも友達になる。
クラシックが好きでかなりマイナーな曲でもすらすらと作曲家やタイトルが言えてしまう。
女性に対する視点も一昔前の少年のような純朴そのもの。

宮城谷さんの学生の頃ってこんな感じだったんだろうな、と思わせられる。

主人公は友人のすすめもあって写真にはまり出すのだが、その描写はこの作品が写真雑誌に連載されていただけあって、かなり専門的なところまで掘り下げられている。

実際に宮城谷氏そのものも本格的に写真にはまっていた時期があって、この本にも出てくるような写真雑誌の月例コンテストに応募し、賞も受賞したのだという。

写真がテーマだからというわけではないだろうが、文章が写実的で美しい。
風景が目に浮かんで見えるようにも思える。

それを持って宮城谷氏らしいという評に出くわしたが、私はそうは思わない。
中国古代を描いている宮城谷本からはこんなありありとした風景は見えて来ない。

宮城谷作品の新たな一面を見たような気がする。

海辺の小さな町  宮城谷昌光



草原の風


宮城谷氏の三国志が後漢の終わりからがスタートなら、この本は後漢の誕生を描いたもの。

宮城谷さん、三国志を書いている最中にかたわらでこの草原の風を書いていたんだろうな。

三国志に比べると宮城谷さんの筆がなめらかなように思えてならない。
孟嘗君、重耳、呂不韋、晏子・・・など、個人にスポットを当てたを描いている読み物は、長編とは思えないほどにすらすらと読めてしまう。
宮城谷さんのいかにも自分好みの人物にスポットを当てた時、その人物のいい所を存分に引き出している時が、一番ご自身でも書き易いのだろう。
まさに軽快なタッチの読み物。

三国志が決して不出来なわけではもちろんないが、やはりあれだけ多くの人が書いているものを別の観点から描きだすには、そんなにすっきりと割り切って書けるものでもないだろう。
私は宮城谷三国志を文庫から手を出してしまったので、そのまま文庫で通そうと思っているのだが、文庫の出版は未だ第七巻まで。
第八卷の出版待ちなのだ。
それだけこちらは年月がかかっている。
書く方も読む方も。

この草原の風は前漢が王莽の手によって終わり、王莽による新朝という新たな時代に入っているところから始まる。

王莽そのものは儒教家なのだという。

後漢の終焉近くになって現れる、とんでもない悪政を行う閻顕(えんけん)、梁冀(りょうき)、董卓(とうたく)・・・そのはざ間はざ間では、宦官によるこれまた私利私欲の政治。
そんなひどい悪党のような連中が国のトップになったとしても、まだなんだかんだと後漢は続くのである。
それに比べて、王莽の作った新朝の15年という短さはどうだろう。
確かにひどい施策を行っている。
田畑への作物へ増税を行うまでは、仕方ないだろうが、過去何年にも遡って、その増税分を納付しろ、などと言って回れば、どれだけ備蓄豊かな豪農だって逃げ出さざるを得なくなる。

漢時代の呼称、官職名や地名を尽く変えようとしたことも人々に混乱を招く。

自らの後継ぎを誅してしまうことも短期王朝へ拍車をかけたかもしれない。

それにしてもだ。
それにしても反乱軍が興ってから崩壊までが早すぎる。

後漢の終焉前に黄巾の乱やら、散々反乱が起きても延々と後漢が続いたのと比べるとあまりにも早い。

この本には天子という言葉が良く出てくる。

主人公の劉秀も周囲は早く皇帝の地位につくべきだ、と言われつつも永い間逡巡するのは自らが天子たる資格があるかどうか、の見極めがなかなかつかないからである。

後漢が事実上、そのていを為さなくなっても延々続いて行くのは、天子という権威に叛いて自らが賊になりたくないからでもあり、高祖劉邦から続いた劉王朝を廃するということによほどの大義名分がなければなかなか民意を得られない、ということもあったのかもしれない。

それに比べれば、王莽の朝廷は倒す方にこそ大義名分がある。
だから、一旦反乱が起きれば、倒壊するのが早い。

宮城谷氏は主人公の劉秀という人物を思いっきりお気に召したようだ。

この人物には徳がある。

それだけでも充分だと思うのだが、戦もうまい、勇気もある。

青年になるまではひたすら農業をして来た人なのだ。
田畑を生き返らせることの達人でもあった。

その頃から人に対する思いやりにあふれ、自分のしたことを誇らず、他人の成果にしてしまう。

伯父から官吏になれ、と言われて長安へ留学する。

その人が兄から推されるように反乱軍を率いる道に入って行く。

それまで、農業と学問しかしたことのない人がいきなり、反乱軍を率いての戦術などたてられるものだろうか。

土方歳三みたいに若い頃から、喧嘩ばっかりやって来た人なら、人と戦うということが如何なることかを知っているかもしれないが、草木を慈しみ、学業をし、せいぜい他にやった事と言えば運送業の手伝いぐらい。

そんな人があろうことが少人数を率いて百万の大軍を破ったりまでもしてしまうのだ。

「後漢書」を著した范曄(はんよう)という人は、劉秀(光武帝)より二百年の後の人だという。
二百年も経過すれば、英雄伝は誇張されたり、作られたりもするだろう。

歴史書の中にあっても、疑義と思えるところにはちゃんと疑義を述べるのが宮城谷氏なのだが、好きな人物にはついつい、筆が甘くなってしまうのかもしれない。

それでも「あとがき」の中で、劉秀をして平凡な人が王になり皇帝になっていくさまを驚いた、と書いているので、筆が甘くなったよりも本当に驚きの心だけでこの本を著したのかもしれない。

草原の風、(上)(中)(下)と結構なボリュームの本ではあるが、全く退屈を感じずに一気に読めてしまう本である。

草原の風(上)(中)(下) 宮城谷昌光(著)