忘れられない脳ジル・プライス著
幼い頃の記憶、小学校や中学、高校の記憶、人間とはどんどん忘却していくものだ。
その忘却を一切しないとしたら、どんなことになるのか。
この本に書いてあるのは全て実話だ。
10年前の出来事だろうが、20年前の出来事だろうが、X月X日X曜日、私は何をして誰とどんな会話をして、その時にリビングからは○○テレビのこんな映像が流れていて・・・。
それが特にに特別な日だったわけじゃない。
物心ついてからのすべての日の記憶を鮮明に、まるで録画放送を流すかのように頭の中を記憶が駆け巡る。
これは特殊な能力なのだろうが、それによって、著者が何か得をしたとかいうことは特にない。記憶力に優れているといっても日常の記憶であって、教科書を丸暗記できるような記憶力とはまた違うのだ。
ある出来事を思い出すと、それに関連した出来事が次から次へと思いだされ、頭の中を暴走し始める。もうそうなるとほとんどパニックみたいなものだ。
記憶力がいいことは素晴らしい能力のように思いがちだが、この本を読むと、そもそも記憶することが能力なのか。忘却することの方が能力なのか、寧ろ後者ではないか、などと思えてしまう。
人は、不愉快な出来事、つらい出来事、悲しい出来事、そんなもの忘却の彼方に置いて行くことで、前向きな生き方が出来ている。
また、若かりし頃の記憶、学生時代の記憶など、思い出すたびに自分を美化し、自分に都合のいい記憶に塗り替えて覚えている。
昔はこうだったんだ!ああだったんだ!という自慢話に尾ひれを付けることを続けて行くうちに、どんどん記憶そのものも上書きされていくケースなど山のようにあるだろう。
それが出来ず、何かの連想でつらい日を思い出さざるを得なくなった場合、そのまんまの記憶で思い出すことはなんとつらいことだろう。
友人とのちょっとした口げんかなんかでも、皆すぐに忘れてしまうから、次に有った時には元通りで居られる。
会うたびにそのことを鮮明に思い出してしまっては、いつまでたっても気まずい気分から抜け出せない。
それでもこの能力、もっと何かに役立てないのだろうか。
裁判の証人になら完璧だろうが、そんな事件に出くわす可能性の方が低い。
彼女が囲碁棋士を目指すひとなら、場面場面を鮮明に覚えていることは強みにはなるだろうが、それだけじゃプロ棋士としては完璧じゃない。
棋譜はコンピュータが覚え、映像は録画ビデオが記憶してくれている。
彼女の強みはその膨大な録画を蓄えるハードディスクの容量と、何らかの検索キーワードでそれを呼び出す検索速度。
何十年の毎日毎日の全記憶ならスーパーコンピュータ並みだ。
やはり、まだまだ未解明の脳研究、記憶の研究に力を貸すのが、最も何かに役立てている、ということになるのだろう。