戦争詐欺師 菅原出著
あの戦争はいったい何だったのか。
かつてベトナム戦争の終焉の時も同じような言葉が飛び交っていたのではないだろうか。
いや、その当時は「いったい何だった」よりも「なんでこんなことになってしまったなんだ」だっただろうか。
この本、アーミテージ元国務副長官へインタビューをするところから始まる。
アーミテージは、もしブッシュ前大統領がチェイニー副大統領やラムズフェルド国防長官の言葉を聞かず、パウエル国務長官や自分の意見を聞いていたらイラク戦争は無かっただろう、と断言する。
あのいまわしい9.11テロの勃発以降、アメリカはテロリストに対して宣戦布告をし、対テロ戦争へと矛先を探す。
テロとは相手の見えない何者か達。それを何者かが操っているはず、と決めつけなければ、対テロ戦争などは行えない。
チェイニーやラムズフェルドたち、いわゆるネオコンたちははテロリスト背景にはサダムがいると言い続ける。
それに対し、アーミテージやパウエルらのリアリストたちはイラクの存在が無くなることで中東のミリタリーバランスが崩れることを懸念する。
この本によるとネオコンと呼ばれる人たちはあのテロ事件よりもっと以前から、対イラク戦争への道を模索していたのだという。
この著者やアーミテージなどの言い分ではアフガニフタンまではあたり前だとしているが果たしてそうだろうか。
あのテロの報復としては、アフガニフタンへの突入すら大義としては極めて弱いと思うのだが、いかがだろう。
アフガニフタンにしろ、イラクにしろ、方やタリバンの存在が、方やフセイン及びバース党の存在がかろうじて治安を維持させていたのであろうし、それを倒す以上、自ら治安維持を受け持つ覚悟無しには突入出来ないはずである。
それら先のことをまったく楽観視し、打倒フセインだけではなく、旧バース党員を全員追放してしまう、というとんでもない愚策をやってしまっている。
旧バース党員にはそれまでの軍人はもとより、行政官や教員、医師、大学教授やエンジニアなど国を荷っていた人材が多い。
その中枢にいた人達を追い出してしまったのだとしたら、それこそ一からの国づくりを行わなければならない。
この本で描かれるネオコン達の短絡思考にはまさに恐れ入る。
戦後への道筋について何の考えもないままに、もしくは考えがあったとしてもアメリカの国内のある高官のオフィスで思いつきのように考えられた作戦をそのまま実行してしまう。
9.11以降、「これはテロとの戦争だ」とブッシュが言い、国民も納得した。
だからアメリカ国内はもっと一枚岩なのだろうと思っていたがこの著者の取材によると全然違っていた。
ラムズフェルドらの国防総省VS国務省、CIAという図式で凄まじい情報合戦や闘争ことが記されている。
それに輪をかけてひどい話はアフマド・チャラビという得体の知れない人物の言うがままにネオコン達が動いてしまった。
チャラビは元々フセインに対して個人的な恨みがあったのだという。
その男にのせられて、まんまとイラク戦へ突入。
その戦後、現場指揮官達はイラク人による統治を考えていたにも関わらず、これも現場を知らない政府高官によって捻じ曲げられ、結果暫定政権という名の占領政府による統治になってしまった。
ここでもチャラビは暫定政権の中に登場し、親族を石油相や財務相や貿易相などの要職に抜擢したのだという。
そればかりか、自ら率いる民兵を使い、掠奪を繰り返したのだという。
フセインを葬り去って民主化を与えたのだ、とネオコンたちは豪語するが、そのチャラビたちの行動が本当なら、そりゃテロ攻撃は絶えないだろう。
しかも一旦は国に命を預けた解雇軍人などからすれば、それこそ命を賭してでも攻撃しただろう。
シーア派とスンニ派という宗教対立ばかりが取り上げられていたが、何のことはない。
宗教対立などではなかったのだ。
彼らにしてみればそれこそ祖国を取り戻すための聖戦だったに違いない。
この本、振り返って見るに一体ブッシュは何をしていたんだ、と思ってしまう。
その父であるシニア・ブッシュは1990年代の湾岸戦争時にクウェートを奪還した後、バグダットまでは侵攻せずに、矛を収めた。
息子のジョージの方はというと、方やチェイニー、ラムズフェルドという強硬派(狂信派か?)に対してパウエル、アーミテージなどの現実路線派の間にたって、一時はチェイニーに流され、戦後処理がつまづくと、逆へ振れる。
決して決断出来ない大統領というわけではなかったのだろう。
戦争へと最終決断をするのは大統領の仕事だ。
それにしても右へ流され、左へ戻されと何やら流されているようにしか見えない。
どこぞの国にもいましたっけ。
決断を下さないという決断だけを下すという稀有な一国のトップが・・。
その方の場合は、まさか戦争突入というところへ向かうことだけはなさそうですが・・・