グローバル恐慌―金融暴走時代の果てに


昨年秋のアメリカ発の金融恐慌が全世界を巡った時、戦争の臭いを感じた人は少なくなかったのではないだろうか。
歴史が物語っているからである。
どんな有効と思われる経済政策も打開策には成り得ず、結局戦争が再生への最大のカンフル剤だった。

恐慌発生後、オバマが大統領戦に勝利し、イラクよりの撤退、イランとの対話を打ち出していたので、その状態からいきなり戦争はまずない。
しばらくの間は戦争への臭いは薄いものになるのだな、と感じたものである。

などという書き出しをしてしまうとこの本が戦争の臭いまでふれているように思われるかもしれないが、上記は本書とは関係無い。

アメリカのサブプライムローン問題に端を発した今回の世界同時不況については、これまでもメディアにても散々語られたことでもあるし、どの会社でも繰り返し話題になったことだろう。
したがって、そもそもの発端についてなどというのは、何を今更という感を誰しも持ってしまいがちである。

ところが、ことの発端の時点では日本へ及ぼす被害は少ないのではないか、との見方から、その後の急激な円高による輸出企業へ一打目の打撃。それそのものはドルの評価が下がり、円の価値が上がったわけなので、一時的な企業の為替損益や評価損益にて赤が出たとしても、寧ろ円が強くなることそのものを評価する向きも多くあった。
ところが円高が、輸出企業の首を絞めだすにしたがって、製造業そのものが苦境に立たされ、これは一時的な問題じゃない、とばかりに非正規の解雇、はたまた正規社員の解雇にまで発展。
そう、当初よりどんどん様相が変って来るにしたがい、当初のサブプライムやリーマンなどの話題などは消え去り、トヨタショックだの、未曾有の不景気だの、雇用を守れ、と今やそもそも「何がどうしてこうなった」のかさえ忘れがちになる。

そういう時期にあらためて、本書の「何がどうしてこうなった」の箇所は今更どころか忘れ去られようとしていた「そもそも」を思い出させてくれると共に、あぁ、そうだったのか、という今更を再認識する上で最も有効な読み物だろう。

現代の金融というものを分かりやすく解説しているので、普段そういう世界と縁のない人や、経済に無関心な人にもとっつきやすいだろう。

サブプライムだけの問題ではない、金融の証券化というものが数々の問題を引き起こすその構造。

2003年時点よりアメリカの実質金利がマイナスだったということを知っていた人がどれだけいるだろう。
実質金利マイナスということは金を借りれば得をするという状態。
借りれば借りるほど得をする。それに火を付けたのが住宅ブーム。

何やらどこぞの世界のいつか来た道に似てやしないか。
そう完璧にどこぞのバブルと同じ道なのである。

では、それを経験済みの日本はこの金融危機においての行く道筋を示すことが出来たのでは?については時が遅すぎた、と筆者は述べる。

オバマ大統領は日本の「失われた10年」を反面教師にすると演説で述べられていたが、日本は失われた10年からまだ完全に脱却しきれていなかったのではないか、というのが筆者の弁である。

日本の低金利、低金利どころか限りなく0に近い金利をバブル崩壊後維持して来たためにその金利に嫌気をさしたジャパンマネーが世界に流れ、投機マネーとして暗躍した。
なんと、では遠因は日本の低金利だったのか?

ではこの打開策とは何なのか。
過去の世界の歴史の中で起こった恐慌はすべからく投機というものが発端である。
金融というもの無しでは資本主義は廻らないのだが、筆者が述べるのは産業を動かす血流としての金融の世界と投機という全く違う目的で、全く違う原理で動く金融の世界を切り離すべきである、ということ。
そう、投機なんてこの世界で行うんじゃないよ。全くはた迷惑な連中だ。
宇宙の彼方でやってくれ、と言いたい。

まぁ、それは極端だろうが、いずれにしろ、切り離すべきと言ってもそれはあるべき姿を述べただけ。

この進行形の世界同時不況、先行きはどうなるのか。
6/16(本日)付けの日経の朝刊のトップには「社債発行、11年ぶり高水準」「金融不安が後退」の見出しが並ぶ。
果たしてそうなのだろうか。

各国政府は金融機関への資本注入や預金保護をはじめとする生命維持装置を取り付けたが、この一旦取り付けた生命維持装置は一体どうやってはずすのか、その基準が見えないところが危険なのだという。

「失われた10年」を反面教師とした結果は「失われた何年」になるのだろうか。

最終的には戦争で再生しよう、と言う結論だけは御免被りたいものである。

グローバル恐慌―金融暴走時代の果てに 浜矩子 著(岩波新書)