重力ピエロ伊坂幸太郎著
知り合いの中学生が読んでいたのが、この本を読むきっかけ。
伊坂幸太郎という人の本を読むには初めてでした。
カテゴリで言えばミステリなのだそうですが、果たしてミステリの範疇に入るのが妥当なのかどうか。私にはわかりません。
読み始めは屈折した青年を描くシリアスな物語かと思ってしまいました。
ところが、さにあらず。
主人公とその弟の会話はテンポも良く、軽いタッチでなかなかいい感じじゃないですか。
兄弟って普通ここまで仲がいい事は稀ですよね。大抵はもっと仲が悪い。
弟の方が才能豊かなだったり、外見が良かったりするのは良くある話で、それを兄の方が認識してしまうと、もう兄にとっての弟はライバルでしか無く、弟を労わるどころか、貶める事にやっきで、昨今では殺意にまで発展しかねない。
嫉妬心を持たない兄の「私」はよほど性格のいい人なんだなぁ、と。
この本を紹介してくれた知り合いの中学生もそうなのだろうか。
確か弟がいると言っていた様な気がする。
おそらくその中学生も弟に優しい人なのだろうなぁ。
私の知る限りにおいては、兄が弟に優しい、というケースはよほど年が離れているか、兄の方が弟になんらかの同情を持って接しているか、なのではないか・・・などと言うのは少々ひねくれ過ぎか・・・。
実の父を持った兄とレイプ犯の弟の関係で且つ弟は常にモテモテで、才能豊かだったとして、この物語の様な環境が生まれるだろうか・・弟の出生の秘密を知って尚、自分より才色兼備で年齢も近い弟がいたとしたら・・・。
弟をレイプ犯の子供として軽蔑し、また軽蔑された弟もまたレイプ犯の道を歩むというのが世間一般なのかなぁ・・なんて思ってしまうのは、少々くだらないニュースに毒されているのかもしれませんね。
素晴らしい兄弟愛であり、素晴らしい親子愛の話だと思います。
兄弟の会話でもしかり。軽快なテンポでやり取りしている分には漫才の様な面白さがあるが、途中から必ず知識の宝庫のやり取りになる。
作者は法学部出身という。それにしては専門外の遺伝子の事については良く調べて書いていらっしゃる。作家としては当たり前かもしれませんが・・・・・。
村上龍氏も専門外のウィルスの事を散々調べあげて執筆しておられる。
この話は遺伝子とは切っても切れない話なので、遺伝子についてとことん突っ込んで行くのはいいでしょう。
伊坂さんと言う人なかなか博学多才な方なのだろうと思います。
読んでいるこちらの知識が不足しているんだ、と言われるかもしれませんが、どうなんでしょう。やはりちょっと知っている事は書かないと気がすまないのか、あまりにその豊富な知識を散りばめ過ぎているのではないでしょうか。
探偵屋さん(と言うより本業は泥棒屋さんかな)バタイユを語らせてみる必然性が物語の中にあったでしょうか。
職場で女子職員と海外旅行の話をしながら「モロッコへ行きたい」と聞いている瞬間に
芥川龍之介の「トロッコ」を思い浮かべているヤツなんています?
「そんなヤツおらんやろー!チッチキチー」とどこかから聞こえてきそうです。
あの場面は作者ならではのダジャレのつもりだったのかもしれませんが・・。
クロマニヨン人とネアンデルタール人の芸術論もいいでしょう。
ピカソもガンジーもバタイユも井伏鱒二も太宰も芥川もいいでしょう。
なるほど、中学生には「知的な読み物」という印象なのでしょうね。
でもひけらさせばひけらかすほどにシラケてしまう読者もいると思います。主人公の大好きな「走れメロス」の著者の太宰がそういうひけらかしをしているでしょうか。
私個人の意見としては遺伝子一本で貫いた方が良かった様な気がしますが、それは皆さんそれぞれのご意見もあるでしょう。
最後に私の大好きな文章をここに残しておきます。
私の中学時代に気に入ってノートに書き写していた、太宰が河盛好蔵宛てに送っている書簡の中の文章です。
『文化と書いてハニカミというルビを振る事、大賛成。
私は優という文字を考えます。人偏に憂うると書いています。
人を憂える、ひとの淋しさ侘しさ、つらさに敏感な事、これが優しさであり、やさしい人の表情は、いつでも含羞(ハニカミ)であります』
単なる書簡ですよ。お手紙。河盛さんが太宰の死にあたってこの文章を発表しなければ世に出ていないのです。
この文章をテーマに何か書けてしまいそうではないですか。
知っている事、読んだもの何から何まで関係無い舞台に引き上げて書いてしまう作家と自分の文章で且つ世に出ないものにこれだけ思いを込めて書く人。いや比較する事そのものがおかしかったか。
こう書いている私もひけらかしをしているじゃないか、と言われそうですのでこのあたりで終わりにします。