カッシアの物語アリー・コンディ


近未来小説。
人類が目指すべきユートピアを描いた作品はいくつもある。
そのほとんどが、実はユートピアとは、管理された監視社会であった、という類のもの。大半の人々はそのユートピアを信じ、これぞ正しい生き方とその与えられたものに満足し、感謝さえしたりする。
ところが、その社会の有りかたに疑問を持つものが表れるや否や、ユートピアはその牙を剥くのである。

何故にそのような監視社会ばかりを描くのだろう。
いったいいつになれば、ジョージ・オーエルの「1984年」の延長でしか勝負しないのだろう。ジョージ・オーエルが皮肉った相手のソビエト連邦はとうの昔に消えて無くなったというのに・・。

とはいえ、それぞれの近未来作者はしのぎを削り、それぞれの新しい世界をみせてくれていることもまた事実。

この物語の世界、人はCREATEする、という行為が出来なくなってしまっている。
文字は読めても文字が書けない。
どうやら、文字を書くことはどうやら禁止されているらしい。
音楽に興味を持つ者も居ない。

生涯の中で二大イベントの一つが17歳で体験する「マッチ・バンケット」と呼ばれる儀式で、生涯連れ合うのに最も相応しい、見ず知らずの結婚相手をその場で決められる。もちろん、たまたま知っている相手と当たる場合もある。
仕事に関してもその人の能力に見合った仕事が割り振られる。
31歳をすぎて子供を持つことは禁じられている。
自分の家の中ですら正直な会話が出来ない。
資料館などで、特定のキーワードで検索をかけると、誰がどんな検索をかけた、とあらぬ嫌疑をかけられかねない。

そして、癌になることもなく健康体のまま生きて、二大イベントのもう一つである「ファイナル・バンケット」と呼ばれるイベントを迎える。
「ファイナル・バンケット」とは80歳の誕生日にめでたく健康体のまま、死を向かえるイベントなのだ。
人間、歳をとって自分が必要とされていない、と思う状況ほど辛いものはない。
この世界で科学的に計算された健康で理想の寿命、それが80歳なのだった。
これがこの物語でいう「ソサエティ」という世界。
「ソサエティ」では何事につけ、公平なのだ。

そして、生まれてから死ぬまで、ずっと管理されているわけだ。

そこまでしてルールに縛られ、管理、監視され、彼らは何を得るのだろうか。
安寧な生活か?健康な肉体か?貧困ではない生活か?

逆にそのルールを破ったら何がもたらされるのだろうか?

優秀な人間は仕分けと呼ばれる仕事を行う。
コンピュータででも行っていそうなそんな仕事を役人となった人間が行う。

仕分けとは特定の仕事に向いている人間、向いていない人間を選り分けて行く仕事。
結婚相手を見つけ出すのも一つの仕分けなのだろう。
その上級職がまた仕分けする人間を仕分ける。

では逆に掟破りをして異端となった果てには何があるのか。
ちょっとした異端は「逸脱者(アベレイション)」と呼ばれ、もっとはずれた者は「異常者(アノーマリー)」と呼ばれる。

異端の身分になると、少なくとも長生きだけは出来そうに無さそうだ。

この物語、ソサエティというこの管理されながらも安全な社会で平凡に生活を送っていた少女、カッシアが、「マッチ・バンケット」で定められた相手以外の異端から来た男の子を好きになってしまう。

そして、文字を書くことを覚え、ソサエティのルールを侵すことを覚え、ソサエティからのはみ出し者になることも厭わなくなって行く。
この一冊でストーリーとして充分に完結していそうにも思えるのだが、続編がまだ出るらしい。

異端の世界へ行ったその後、ということだろうか。
そこがどんな世界かはわからないが、どこだろうが常人ならこんな監視社会よりはマシと思うかもしれない。
でも、生まれてこの方ずっと管理・監視されることに慣れ、平和な世界に慣れたカッシアが如何に耐えて行くのか、乞うご期待、といったところか。

『カッシアの物語』アリー・コンディ著、高橋啓訳 プレジデント社