カテゴリー: 石田衣良

イイシダイラ



赤(ルージュ)・黒(ノワール) 池袋ウエストゲートパーク外伝


これはなかなかにしておもしろいですよ。
池袋ウエストゲートパークのIWGPシリーズと言えば何かのトラブルを抱えた人がマコトの果物屋を訪れ、何だそりゃ、どうしたらいいんだー!とわめきながらも結局、タカシやサルや電波マニアや生活安全部少年課の刑事の力なぞを借りながらも、最終的にマコトが見事に一件落着と解決してしまう小編が四篇で成り立っているのが通例なのですが、この外伝だけは違う。

まず、マコトが登場しない。
四篇の小編ではなく、たっぷりと楽しめる。

赤と黒と言ってもスタンダールの名著ジュリアン・ソレルの「赤と黒」とは全く無関係ですよ。
話題はカジノ。
解説子は、日本で何故カジノが合法化されないのか、それはパチンコ業界を守るためである、と。
そう言えば、パチンコ業界の会計を明朗にする目的で導入されたプリペードカードの会社には警察OBと言われる方々がかなり居られるという。
かなりお年を召しておられる方々で営業部隊や工事部隊がせっせとお働きになっている間、応接室の様な部屋で大画面のテレビなど一日中ご覧になっていらっしゃる、とか・・。その会社を退社した人が言っていた。
パチンコのメーカーが出す新機種しかり、カード会社が出すカードユニットと呼ばれる台間機しかり、全て警察の認可が下りて初めて世に出ることが出来る。

そのために警察の方の天下りを受け入れておられるのかもしれないが、その退職社員に言わせれば、あんまり影響力無いんじゃないの、ってな話でした。

カジノと言えばかつて石原慎太郎都知事が、カジノを合法化して作ろう、と言っていた時期があったのだが、あの話はどこへ行ってしまったんだろう。

この話、ヒット作のない映画監督がカジノにどっぷりはまり、その先に待っていたのが、10分で1000万というおいしいアルバイトに手をそめるところから始まる。
カジノの店長を襲って、その売り上げをかっぱらおう、という非合法のカジノの上を行く非合法なアルバイト。その襲われるカジノの店長も仲間なのでリスクは少ない。
いわば狂言強盗のようなもの。

何の問題もなくアルバイトは片付いてしまうのだが、その仲間の中に裏切りものが居て、奪った金をそのまま持って行かれてしまった上に、カジノを仕切っていた羽沢組、サルのいる組織、に捕まり、一生下働きをさせられそうになる。

この売れない映画監督、そこで一発バクチに出て、金を奪った連中を捕まえて、金を取り戻す、と出来そうにもない啖呵を切ってしまう。

なんといってもクライマックスのシーンが最高ですね。
赤(ルージュ)・黒(ノワール)まさにその世界。
ルーレットの必勝法とは?
赤・黒もしくは偶数・奇数に張れば確立は1:1。
1枚張って勝ってら2枚が返る。
ひたすら赤にだけ張り続けるとして、10連敗する確立は2の10乗分の1。
1024回に一回の確立。
とすれば、同じ色だけにひたすら賭け続ければいつかは何度に1回は、確立としては2回に1回は・・ということになるのですが、ジャンケンでもひたすら負け続けることだってあるでしょう。
だから最初に$10で負けたら次は$20張ってもトントンにしかならない。
$10で負けたら次は$30。
$30で負けたら次は$40。
って続けていけば、最終的には$10の勝ちになる・・せこいけど必ず勝つ、なんてね。これは一見必勝の方法に見えながらそうではない。負けが続けば資金が持たない。
累乗の世界の上がり方は並大抵じゃないですから。
それに最終的に$10の勝ちじゃ、バクチの面白さを放棄しながらも労働の時間給にも割が合わない。
$10で負けたら次は$40。
$40で負けたら次は$160。
ぐらいにしないとね。
で、最終的には結局資金無し放棄か、掛け金の上限に引っかかって、OUT!
ってなチンケな物語ではありませんよ。

勝負師の勝負師らしさを楽しませてくれることでしょう。

赤(ルージュ)・黒(ノワール) 池袋ウエストゲートパーク外伝  石田衣良 著



電子の星 池袋ウエストゲートパークIV


「東口ラーメンライン」「ワルツ・フォー・ベビー」「黒いフードの夜」「電子の星」の4篇。

池袋の路上で上野のGボーイズに相当するチームのリーダーが数年前に何者かに殺害され、その真犯人探す被害者の父親。
調べていくうちにだんだんと明らかになっていくそのリーダーの実像・・・「ワルツ・フォー・ベビー」

軍事政権のビルマにあって、アウンサンスーチー側の民主運動に加担したとして投獄された二人の男。
その時の拷問のせいで今だに真っ暗だけはいやだと夜中でも電気をつけないと眠れない。その一人は家族を守るために味方を売って、日本へ逃げて来た。
もう一人はその裏切り行為を許せない、というレベルはとうに過ぎて、単に裏切り行為をばらされたくなかったら、とその子供のあがりまで吸い上げる。
14歳の少年がボロボロになっていくのを見逃せるマコトではない・・・・「黒いフードの夜」

そんじょそこらのMじゃない。人体が損壊されるシーンがそのままショーになり、その残虐ショーのDVDがマニアの間で高値で取引される。
そこまでいったら、趣味とかってレベルじゃないでしょ。
もう完璧に壊れた人たち・・・・「電子の星」

「東口ラーメンライン」
ラーメン屋ってそんなに行列が出来るものなのか?
そういや、東京出張の時に行列の出来ている寿司屋へ連れて行ってもらったことがある。なんで、わざわざ、こんな並んでまで、とこっちは思うのだが、相手の好意だったのでやむを得ない。つきあってみた。
しばらく待たされて、カウンターに通される。
寿司ネタが悪いとか、そんなことはないのだが、いやはやなんとも感じの悪い店なのだった。
こっちは別に食い気だけで店に入ったわけじゃない。
しばし会っていなかった人物と再会すればそれなりに話もしたいところ。
結構注文したにもかかわらず、箸を休めてビールを飲んだだけで、
「食べないならとっとと帰ってよ!」とカウンターの中から声がかかる。
そりゃあれだけ行列が出来てるんだから、腰を落ち着けられたらたまらないのだろう。

行列の出来る店なんて行くもんじゃない。

以前ラーメンに関しては結構、食い歩きをしたことがあるのだが、どうにも人に是非ともとお勧めできるような店には出会えなかった。
あの当時、少しずつ欠点を紹介せよ、と言われたら結構的を得た指摘が出来たかもしれない。
ラーメン屋はやっぱりアルコールを浴びるように飲んだあとの締めくくりが一番。
そんなラーメン屋ならいくらでも知っている。

そんなこんなで、元Gボーイズのお二人のラーメン屋さんの店に行列が出来るのは多いに結構なことだが、私は行列の出来る店にはたぶん行かない。
だから美味いラーメン屋に出会えなかったのかもしれないが・・・。

電子の星 池袋ウエストゲートパークIV IWGP 石田衣良著



骨音 池袋ウエストゲートパークⅢ


●骨音

骨音って、こんな発想はどこからきたんだろう。

動物の骨から打楽器を作るなんていうことは古代から行われていたことらしいし、今でも現存しているものもある。

有名どころではキューバの打楽器「キハーダ」。
馬やロバの下顎の骨から作られるということで有名だ。
近頃ではネットでも買えるようになったらしい。

中国の自治区の一つの広西自治区。
そこに住むチワン族には古くから「馬骨胡」という琴のような楽器を奏でる。
これは馬の大腿骨を使っている。

モンゴルみやげで有名な「馬頭琴」。
みやげにしてはかさ張るから結局は買うのをあきらめたりする。
これも少し前までは馬の骨で作られていたと言われる。
現在売られているものは木製しかないだろうが。

やはり骨ならではの音というものがあるのだろうか。
まさに骨の髄までしみ込んで来る、というような音なんだろうか。

モンゴルの「馬頭琴」の場合は音のためというよりも愛馬を偲ぶ意味でその骨を楽器にまでして身近に置きたかったという意味の方が強いらしいが。

全国、至る所で中高生達がホームレス狩りを行っているのだという。

彼らはホームレスの連中なら税金も払ってないし、臭いから狩っても罪にもならないだろう、などと言う刷り込みでもされて来たのだろうか。

近所の河川敷で見かけるのはホームレスというよりこれは立地条件抜群の立派なホームじゃないのか?と思えるようなもの。
自転車が鎖につながれていて洗濯物も干してあって入り口には「入るな!」「覗くな!」の張り紙看板などもあったりして・・・
こういうのは特別なのだろうな。

余談となったが、ホームレスだから骨ぐらい折ったところで構わないだろう、という発想よりも人の骨をバキっとなるぐらいにまで折ってまでして収録した音が人をそんなに熱狂させる音楽に使用される、っていう発想、その思いつきそのものにまず驚いてしまう。

ネタばれのようなことを書いているように思われるかもしれないが、そんなこともないだろう。コンサート会場のシーンあたりで大抵の人はこのタイトルと考え合わせれば、ホームレス骨折り犯人が誰かなんて、想像ついてしまうだろうし、また作者もそのつもりで書いているんだろうから。

●キミドリの神様

もう一つ、これはなかなかの面白い発想だなぁ、と思ったのが「キミドリの神様」のローカル紙幣。

そもそも貨幣が誕生したのは商の時代で、物々交換の煩わしさを貝がらを貨幣としての物との交換価値のあるものとして普及させたところからはじまる、と中国古代史を描く宮城谷氏が書いていた。

貝がらが貨幣なら海沿いの人々はぼろ儲けじゃないのか、という疑問が湧いてくるなぁ。
宮城谷さんはそこをどう説明していたっけ。

それはこういう出来立ての紙幣だって同じ事が言えるだろう。

物と交換するに値すると誰しもが判断ようになりさえすれば、それは貨幣・紙幣として成立してしまう。
紙幣を流通させる、つまり価値を認めさせるまでがいけば発行元は大勝利。ぼろ儲け間違いなしだ。
国が発行元でない紙幣なんて世界中にあるだろうか。
買い物をした時についてくるポイントなんかは商品に代わる価値はあってもその店限定だろうし。

喫茶店へ行ってそのローカル紙幣でお勘定ができる。
雑貨屋へ行ってそのローカル紙幣で買い物ができる。
もちろん、お金ではないので消費税は無し?
小売店も円貨の収入でも外貨の収入でもないので、所得にはあたらないから所得税もない、ということになるのだろうか。
いやいや、国税当局はそんな甘くはないだろう。
そもそも金券ショップやそこらで円に交換できてしまうのがよろしくない。
果物屋でりんご一個をこの紙と交換した。それだけなら物々交換をした、つまりりんご1個は売上につなげられなかったわけだ。
とはいえ小売店はただで物を配っているわけじゃない。交換した紙はお金としての資産価値のあるもの。
だとしたら売上の代金回収を債券で回収した様な扱いとなるのだろうか。

いずれにしても税金対策には利用できないだろうし、この主催者はそんなことを目的としていたわけではない。
弱者救済などというときれい事の様に聞こえるが、働きたくても仕事がない、お金のない貧しい若者がボランティアへ参加した時の対価(報酬)としてこのローカル紙幣を受け取る。

金はないが、そのローカル紙幣でメシが食える。服が買える。
金なんてなくても豊かな生活がおくれるじゃないか。

そういう主催者の発想、つまりは作者の思いつくところがなかなかにしておもしろい。

他に「西一番街テイクアウト」、「西口ミッドサマー狂乱」など四篇が収められている。

「IWGP」(池袋ウエストゲートパーク)のシリーズものとしては、レイヴと呼ばれる参加者が一晩中踊りまくる音楽イベントとドラッグを扱った「西口ミッドサマー狂乱」なんかが、メインなのかもしれない。

それでも発想のおもしろさから上記二編を取り上げてみた。

骨音―池袋ウエストゲートパーク<3>  IWGP:池袋ウエストゲートパーク:池袋西口公園シリーズ  石田 衣良 (イシダ イラ) 著” width=”100″ height=”100″></p>
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ブルータワー


脳腫瘍に犯されて、余命2~3ヶ月、来年の春にはもうこの世に存在しない主人公が景気の悪化を嘆いてみたりする自分の姿を顧みて、おかしなもんだ、などという展開からまさかこの様な展開に発展するとは思ってもみなかった。

意識が無くなった際に何度か見た高い塔からの風景。
ある日、本当にその風景の中へ飛んでしまう。
なんとその世界とは200年後の世界なのだった。

脳の病いなので、脳の中で作られたイメージなのかと主人公も当然思うのだが、それにしては、理路整然としすぎており、話の辻褄も整合性にも矛盾が無い。

200年後の世界での彼は高さ2kmというとてつもなく高い塔の最も上部に近いところに住む。
そこは階級社会そのもので、その上下関係はまさに住む階の上下関係と等しい。

そもそもは東中国と西中国の東西対戦の末にばら撒かれた後に「黄魔」と恐れられるインフルエンザウィルスが原因で世界の大方の人間は死滅してしまう。
残ったのは青の塔をはじめとする7つばかりの高い塔。その中の最上階に住む特権階級としての人、~二層、三層、四層、五層目まで行くと第一層の人の奴隷扱い。

石田衣良氏は9.11のテロでワールドトレードセンターが崩落していく様子を何度も見て、この作品を書こうと決心された、ということである。

主人公が200年後の世界で見たのものとは、ガース・ニクスという人が書いた『セブンスタワー』と酷似した世界。
『セブンスタワー』は子供向けファンタジーなので知らない人が多いだろう。

そこには7つの塔がある。それぞれ、緑の塔、黄の塔、赤の塔、青の塔・・などと呼ばれているのも似ているし、その塔の中がまさに階級社会で階級が高いほど塔の上に住む。

そういった似ている面はあるが、そういうような物語の舞台背景が似ているものなど、他にもいくらでもあるかもしれない。

現世ではもう死ぬ間際の人間、それが200年後にシフトした途端に30人委員会という最重要ポストの一人で、次の法案を通すか通さないかのまさにキーマンであるかと思えば、200年後からみた過去の吟遊詩人の歌の中に登場する階級社会を打破する救世主だと皆が思い込み、自分に思いを託して死んでいく。そのプレッシャー。
余命いくばくか、という運命を一旦背負った人ならではの勇気、何かを為そうとしようとして湧き上がる力、読みどころは多い。

日本でもこのところパンデミックに対しての措置や対応マニュアルを地方自治体の一部がようやく用意し始めている。

折しも「H5N1型ウイルス」と呼ばれる鳥インフルエンザが東アジア各地で猛威を振るいつつある。
この鳥への感染が人への感染に変異するのも時間の問題ではないか、とも言われ、一旦人へ感染すると、その致死率は50%とも60%とも80%とも言われる。

まさに「黄魔」そのままではないか。
この物語では「H17N1ウイルス」と、もっとはるかに進化したウィルスが登場する。
インフルエンザの恐ろしさは粗悪コピー機のような、遺伝子コピーの不完全さなのだそうだ。それゆえにどう変異していくかわからない。遺伝子が正しくコピーされるなら一度効いたワクチンにて対応出来るはずなのだが、粗悪コピーゆえに一度効いたワクチンもまた効かなくなってしまうのだそうだ。
これはこの物語に登場する、ココという電子頭脳を搭載したパーソナル・ライブラリアンが主人公へ説明している内容である。

この200年後の脅威はさほど先ではない脅威なのかもしれない。

おまけ。
ブルータワーの高さ2km。
東京タワーの高さ330m、世界で最も高いビルでも500m~600mといったところか。
その約四倍の高さ。それでも最下層だけで人口50万人が住むには、ほぼ山のような形状でなければ無理だろう。
少なくともこの本の表紙の様な形状ではないだろう、などとこれは蛇足でした。

ブルータワー 石田 衣良 (著)



てのひらの迷路


24のショートショート集。
ショートショートと言えば星新一があまりにも有名だが、この石田衣良氏のショート・ショートはSFでも未来ものでも宇宙ものでもホラーでもない。
石田衣良氏の実体験を元に書かれたものが大半である。

何気ないタクシーの運転手との会話。ただそれだけのショートショート。(タクシー)

目を閉じて正確に3分間を言い当てる。完璧なタイムキープを求められるアナウンサーの女性。(完璧な砂時計)

引きこもりを題材にした話。(銀紙の星)

実になんでもない話のようなのだが、何故か次は、次は、と次の短編を読みたくなってしまう、という不思議な本だ。

家の近くを散歩する。同じ様に散歩をしている、よくみかけるおばあさん。
おばあさんの話相手になりながら、散歩をする作者。
この何気ない短編からは作者の優しさ、心遣いというものが伝わって来る。(終わりのない散歩)

本に関する短編もいくつか載っている。
世界に一冊だけ自分のためだけにある本があるに違いない、と書棚一杯の蔵書を読んでは捨てて、という選別をしている老人。(書棚と旅する男)

希望を失いかけた人の前に表れる一冊の本。
その本にはまさに自分と同じ境遇の主人公が登場し、奮戦の上、その境遇を乗り切る。
希望を失いかけた人はその本を読んで希望を取り戻し、また別の人のためにその本を置いて行く。
これなどは、まさに世界に一冊だけ自分のためだけにある本をもじったファンタジーである。(旅する本)

石田衣良氏は就職活動などはしなかったらしい。
最初に仕事をしたのはフリーターで、特に人生に野望はも大きな目標も持たないが、好きなだけ本が読めて、音楽が聴けて、生活をする上での金さえ稼げれば、それだけで充分じゃないか、そんな人生観を若い頃には持っておられた。

あぁ、この人にとっては、人生勝ち組だの負け組だとなどという色分けなどちゃんちゃらおかしいのだろうな。いや少なくとも若い頃はそうだったに違いない。
ニートだから、フリーターだから、非正規雇用社員だから、などという劣等感を持つ人間など、この人の若い頃の人生観からすれば不思議で仕方なかったに違いない。

広告代理店に勤めてからも有名なコピーを作ることなど眼中にはない。
偉くもなりたくはないし、人並み以上に金を得ることにも興味はない。
仕事には100%の本気は出さず、適当に手を抜きながらも一応与えられた作業は人並みにこなす。
それでも平日に自由に外を散歩したり、たっぷり本を読む時間は確保する。
そんな生活で満足していた人。

それがなんの因果か、小説を書き始めてしまってからというもの、途端に締め切りに追われる多忙な人となった。

そんな作者としての苦労話なども短編になっている。
この短編を練るまでの作業がそのまま短編にもなっていたりもする。
作家になってからの取材話の短編有り。
いずれにしろ、あの「アキハバラ@DEEP」などを書いた作者の作品とは別の一面を存分にのぞかせてくれる本であることは間違いない。

この短編、最初から24作で終ることになっていたらしく最後の一つ前の短編は作者が最も力を注いだものかもしれない。

そんな力作は力作としてもちろんOKなのだが、どんな仕事であれ、達人の域というものがあり、その道の天才といえる人がいるのだ、ということを描いている「ウエイトレスの天才」のような小編が私は好きである。

てのひらの迷路 石田 衣良 (著)