カテゴリー: 塩田武士

シオタタケシ



騙し絵の牙


出版業界の不況が言われてからかなり久しい。

この話、その厳しい出版業界の中で、もがいてもがいてなんとか売り上げを維持すべく取り組む男の話。

出版社の出す月刊誌への連載、これなどは作家にとっては給料のようなもの。
連載を終えて、ようやく単行本になって売れた分は賞与みたいなものだろうか。

その月刊誌がバタバタと廃刊していくのだ。
若手の作家にしてみれば、給与の食い扶持がどんどんなくなることになる。

主人公の速水という雑誌編集長、作家をこよなく愛し、本をこよなく愛し、編集という仕事をこよなく愛する。

若手の作家を一人前の作家に育てるのが編集者たるものの仕事だと考える男で、作家のヒントになるような記事などがあれば、自分の雑誌に連載している作家で無くてもこまめに送り、作家達との人間関係を地道に築き上げて行く。

なんだか、幻冬舎の見城氏を彷彿とさせる。

会話も軽妙で、酒の場での座持ちも良く、部下からも作家たちからも好かれるタイプ。

彼の勤める出版社で月刊誌の廃刊が相次ぎ、自ら編集長を務める雑誌も廃刊へのタイムリミットを言い渡される。

なんとか売り上げを伸ばそうと、パチンコ業界とのコラボを仕掛けてみたり、作家にはスポンサー企業の商品宣伝につながる話を織り交ぜてもらい、広告収入を維持しようとしたり、その頑張りは涙ぐましいものがある。

雑誌を廃刊に持って行こうとする会社とそれに抵抗する組合との交渉の場に出て行っての演説は、編集という仕事への強い思いが伝わる読みごたえのある演説だった。

それにしても出版社という業態を取りながら、廃刊、廃刊、をすすめようとし、作家との縁切りも全く考慮しないこの会社、いったいどこへ向かおうとしているのだろう。

彼が最終的に会社を立ち上げるとなった時の裏切り行為だとか、二枚舌だとかという言葉は全く当たらないのではないだろうか。

彼は自分の信念を貫いただけであり、自分の築いた作家との信頼関係に作家達が乗って来ただけで、それをどんどん切り捨てて行ったのが元の出版会社の方ではないか。
他にどんなやりようがあったというのだろうか。

それにしても、何故、大泉洋などという役者の写真を随所に織り込んであるのだろう。
主人公のイメージぐらい読者の想像に委ねて欲しいものだ。

この先に映像化の話でも決まっているのだろうか。

それともこの出版社、芸能プロダクションとうまくタイアップしてつるんでいるのだろうか。
まさに出版の裏側を描いた本だけにそれを地で行っていてもおかしくはないか。

騙し絵の牙  塩田 武士著



罪の声


「けいさつのあほどもへ」という挑戦状で有名なこの事件、良く覚えている。

昭和の未解決事件の中でも最も有名な事件と言えば三億円事件とグリコ・森永事件だろう。
特にこのグリコ・森永事件に関してはかなり身近な場所がニュースで頻繁に登場したし、警察のローラー作戦だったか自宅や近所にも警察の聞き込みが何度か来ていた事件だけにかなり地元感がある。

以前から身代金は本気では無く、株の売買でボロ儲けして勝ち逃げしたんだろうと言われ、おそらくそんなところだろう、とは思っていたが、考えてみれば大量の空売りを疑われない範囲で目立たず行うということは結構難しいことかもしれない。
グリコ・森永だけに注目を集めておいて丸大、ハウス、不二家などの他の四社のどこか、もしくは報道もされなかったどこかから身代金を受け取っていた可能性も大いにある。

この話、テーラーを営む青年が自宅で父の遺品の中から自分の幼いころの声で身代金の受け渡し場所を指示すると思われる犯行時のグリコ・森永事件時のカセットテープを見つけるところから始まる。

身内が全くのカタギならさぞかし驚いたことだろう。
自分の父親が犯行に加担していない事を確認したいがために父の友人と共に、当時の事を知る人を訪ね歩く。

方や、新聞社では時効をとっくに過ぎたこの事件の新たな事実を発掘して特集を組むという企画がぶち上げられ、文化部から応援に駆り出された一人の記者が事件を追って行く。

この男が取材した先々からどんどん有力な情報を入手していく。

作者はかなり緻密に事件のことを調べたのだろう。

表に出ている情報とたぶん矛盾はない様に念入りに調べたに違いない。

イギリスで遭遇するこの事件の絵を書いた人物の告白話。計画づくりにおいてはかなり説得力がある。

ただ動機の箇所があまりに稚拙。あれだけの事件を企てた男の動機など敢えて書かない方が説得力がある。

事件の真相はあるいは、そういうことだったのかもしれないなぁ、と確かに思うが、この記者の取材が元で事件の全てが全容解明されてしまうのは行き過ぎじゃないか。

堺の小料理屋で犯人グループが会合を開いていた、という証言しかり。

あの当時は「俺が犯人だ」と酔っぱらって言い出すアホがそこら中に居て何人かは実際に事情聴取されてみたり、「俺の知り合いがどうも関係しているらしい」なんてデマやガセネタ情報が山のようにあった。

「会合を開いていた」なんて情報は腐るほどあって、ほとんどがガセだったはずだ。

確かにとっくに時効を過ぎた今だから言ってしまえ、というのもあるかもしれないが、あまりにこの記者、当たりを引きすぎている。

犯人グループの全員がわかってしまうよりも、そのブラックボックスをいくつも残したまま、本当はこうだったのだろうという推測で終わるとか、おそらくあの男だったんだろう、と思われる男が笑いながら去って行く。

そういうストーリーがグリコ・森永事件には似合っている。ちょっと残念。というのが読んでの感想だ。

でも、この本、この事件の全容を解き明かしていく過程を物語にすることだけが目的じゃない。

犯行に使われた子供の声は三人に及んで、その一人が冒頭の青年だが、残り二人はもっと年上だ。

彼らのその後に焦点を当てる、というところが数あるこの事件の推理話との違いだ。

あの声の子供たち、本当にどんな人生を歩んだんだろう。

罪の声 塩田武士 著



盤上のアルファ


冒頭で登場するのは兵庫県の地方新聞の社会部の事件記者で、上からも下からも嫌われている、という理由で文化部へ左遷される男。

新聞記者氏は文化部で新聞社が主催する将棋や囲碁のタイトル戦のお膳立てやら、観戦記を書かねばならないが、彼は将棋も囲碁も全くのシロウト。

もう一人の登場人物はこの新聞記者氏と同年代の男で万年タンクトップ一枚の坊主頭、到底格好良いとは言えないおじさんなのだが、こと将棋に関してはアマ王者になるほどの実力の持ち主。
おじさんと言ってもまだ33歳なのだが、一般の若者たちとあい入れる要素はかけらもない。

この人の生い立ちたるや悲惨で、小学生の頃に母親は男を作って家を飛び出し、父親はバクチ好き、酒好きで、借金まみれの毎日。
借金取りから逃げ回っていたもののある日掴まり、それ以来帰って来ない。

一人ぼっちの家に別の借金取りが上がんだはいいが、金めのものなど一切無い。
フライパンならあるけど・・みたいな。
その借金取りのオジサンが将棋を一曲やろうと言う。
賭け将棋だ。
負けても払うものなど一切持たない彼は「命を掛ける」と言ってしまう。
それ以来、毎日借金取りのオジサンは弁当を持って来ては将棋を教えてくれる。

その後も伯父一家に引き取られたはいいが、捨て猫以下と言ってもいいほどの扱いを受けるという過酷な少年時代を送って来た。
そんな生い立ちの男なのである。

冒頭の新聞記者氏とこの丸坊主男が出会い、なんと同居する・・・という話の運びなのだが、そのあたりを読んでいる雰囲気では、ボケとツッコミのやり取りみたいな軽いタッチの読み物だとばかり思っていたが、そうでは無かった。

この丸坊主氏を巡っての感動の物語が繰り広げれられる。

丸坊主氏はなんとプロ棋士を目指すのだ。

プロ棋士になるには年齢制限があるらしいのだが、年齢制限を超えた人にもほんの針の穴を通すような狭い門だが、プロになる方法があるのだという。

かなり高いハードルなどという言葉では足らないだろう。
未だ一人もそのハードルを越えていないというのだから。

それにしても将棋の世界、いや将棋だけではないのかもしれない。
プロ野球にしたってサッカーにしたって、相撲にしたって似たようなものかもしれない。

一旦勝負師の世界を目指した者は、その勝負師の世界で勝ち残れなかった時、大半が勝ち残れないのだろうが、それがそこそこ年を取ってしまってからでは、他の職業に簡単につけるものではないだろう。

野球やサッカーにはまだ、少年向けのチームのコーチみたいな道がもしかしたらあるかもしれない。

将棋や囲碁ならどうなんだろう。

将棋クラブで雇ってくれたりするものだろうか。
囲碁なら碁会所で先生なりの職業があるのだろうか。

いずれにしても中卒33歳の彼にはプロを目指す道は、後の無い厳しい道なのだ。

それと同時に彼の対戦相手になる若手にしたって、年齢制限の26歳までに三段リーグへ登らなければ、プロへの道は断たれる。
彼も必死なら相手相手も必死なのだ。

この本、神戸から大阪までの阪神沿線の良く知っている地名が多々出て来て親しみが湧いてしまったというのも気に入った点ではあるが、それより何より、序盤の出だしはかなり軽い読み物を思わせるながらも、最終的には勝負に生きる男の生き様を存分に楽しませてくれる一冊である。


盤上のアルファ 塩田 武士著 第5回小説現代長編新人賞受賞作