カテゴリー: タ行



この夏の星を見る

もうすっかり忘れつつあるあのコロナ禍。特に2020年の春の緊急事態宣言の境に世の中、一変した。
3密を避けましょう。
不要不急の外出は控えましょう。
ソーシャルディスタンスを取りましょう。
都道府県を跨いでの移動はやめて下さい。
黙食。
マスク、手洗い、消毒・・・

コロナの影響を受けている人がいる今から見ても若干滑稽ではないか、と思えるようなメディアの訴え方だったが、後世の人が見た時、何を感じるだろうか。

全国一斉休校、やはりあれが一番大きかったのではないだろうか。
自宅に籠る(ステイホーム)が当たり前になってしまった。

春の季節だっただけに、卒業式は中止・延期、入学式も中止。
他にも修学旅行は軒並み中止。
甲子園をはじめとする学生のスポール大会も悉く中止。
文化系の大会も軒並み中止。

そんなコロナ真っ只中で、何もかもが自粛自粛で出来ないことだらけの高校生・中学生達が何が出来るかを探し求める話。

千葉県の高校が主催して行われていた「スターキャッチコンテスト」という望遠鏡で星を捉えるスピードを競うコンテスト。
コロナ前までは、各学校の天文部員たちが集まって行われるのだが、東京の中学生が勇気を振り絞って、この高校の天文部へ質問のメールを送ったことから、この「スターキャッチコンテスト」をリモートで実施しようという流れとなる。

この千葉県の天文部顧問の先生の顔の広さのおかげで、長崎の五島列島の離島の高校生とも繋がる。

長崎の離島、千葉、東京となると、感染者数は東京が断然多いので、一番シビアなのは東京だと思うところだが、実態としてはその逆で他の人の視線の厳しさとなると東京から離れれば離れるほど厳しくなるのかもしれない。

五島から参加の女子高生は家は旅館。
この時期に県外からの観光客を受け入れたという話が島で広がり、親しいはずだった友人までもが離れて行く。

そんな話、地方に行けば行くほど全国各地であったんだろうな。

コロナによって何もかも諦めざるを得なかった学生たちだが、逆にコロナだからこそ、こんな遠隔地の繋がりが出来たとも言える。

彼らは失ったものも多かったが、代わりに得難いものを得たとも言えるだろう。



土竜


勢いのある土佐弁の会話のやり取りがテンポよく気持ちがいい。

竜二という少年の生い立ちとその周辺の人々の話が各章毎に綴られて行く。

息子や娘の育て方に失敗したと語る老婆の元に子供四人兄弟姉妹の一番下の娘がいきなり息子を預かってくれ、と子供が置いて行く。

はちきんなその娘、若いうちに土佐を飛び出し、神戸やらの高級ラウンジで、一番人気となり、関西の大物極道の親分連中がこぞってかわいがる様な女性。
その娘が置いて行ったのは神戸の若手任侠の親分のとの間に出来た息子の竜二。

竜二の母親は神戸の親分が留置されている間に高知へ戻り、高知の二大勢力の一つを牛耳る組長の愛人となった為、竜二はその組長の息子と思われて育って行く。

中学生になった竜二はから喧嘩も強いし、男前で女子にモテモテ。
他校の女子が校門で出待ちをするほどのモテっぷり。
そんな中で彼が最も心にとめたのは「パンパンの娘」と学校で苛められながらも凛としている夕子と言う女性。

高知から東京へ出るにあたっては、読者としては大いに期待したところだが、次に登場するシーンでは、だいぶ年数が端折られて薬物事件を起こして干される状態になった役者の竜二。一流の美人女優の元夫という扱い。

この高知東生と言う人まさか役者だったりして、と検索してみると、なんとまぁどっかで見た事のある俳優さんだった。

プロフィールを見てさらにびっくり。
出身は高知県。
父親が暴力団組組長で幼少期は・・と、やけに細かいプロフィールが出て来る出て来る。
まるで、この本を元にプロフィール書いたんじゃないかと思えるほどに。
その後の展開もほぼ本の通り。

自叙伝なのかこれは。

どこまでが創作なのか、どこまでが、実話なのかはわからないが、そのプロフィール通りに話は進んで行く。

なんかすごい本に出会ってしまったな。
それにしても自身では学が無いと書きながらもこれだけ読者を引き付ける本を執筆出来るのだから、大した文章力だ。
それに周辺の人たちの描き方がそれぞれ個性を引き出していて面白い。
自身では立ち会っているはずが無いので、創作なのだろうが、ブルセラと一緒に自身の陰毛を通信販売する、かつての同級生の高校教師やその先輩など描き方などあまりに痛快すぎて笑ってしまった。

元俳優さんというより、立派な作家先生だろう。

土竜  高知東生著



ザリガニの鳴くところ


世界中で湿地の消滅が続いているのだという。
1900年以降、世界の湿地の64%が失われたといくつかの科学的推計にはあるらしい。
今や毎年となった100年に一度の世界の異常気象、原因のことごとくをCO2が引き受けているかの如くの昨今の報じられ方だが、スポンジのように余分な水を吸収してくれる湿地は、洪水を防ぐ自然の防波堤の役割も果たしている。洪水のコントロールや炭素の蓄積などを担っている。
湿地の減少もまた異常気象の原因足りうるのだ。(ラムサール条約解説文よりの引用)
アメリカでも湿地の減少はすさまじく、この物語がの舞台となる1950年代~1960年代、70年代が湿地の減少が始まった初期のピークだろう。
湿地はさまざまな生命を育む地球上で最も重要な生態系でありながら、昔から人々には嫌われる。

ジメジメして鬱蒼と草が茂り近寄り難い湿地。
あまり人が住むには適さない場所と思われる湿地。

そんな湿地で育った少女の話。

酒浸りの父親の暴力が原因で6歳の時に母が出て行き、4人いた兄、姉全員出て行く。
最後にはその原因を作った父親も出て行き、幼な子がたった一人で湿地で生きて行く。

朝一番で沼地でムール貝や牡蠣を取り、麻袋に一杯にしてそれを近隣の店に引き取ってもらい、生計を立てる。

カイヤと呼ばれるその少女、街の人たちは彼女の事を「沼地の少女」と呼び、薄気味悪い存在と位置付ける。

10歳になっても文字すら読めない彼女に文字の読み書きを教える男の子が現れ、その子のお下がりの教科書で独学し、しまいには十代で沼地の論文まで書けるほどになる。
食べるものもまともな衣服もお金も何もない中で、自給自足の日々の暮らしだけでも大変なのに。
そんな彼女に読者は釘付けになるだろう。

1950年代~1960年代ってさほど昔でもないのに、アメリカではまだこんなにどうどうと黒人差別があったんだ、とあたらめて思い知る。
レストランの「黒人入店お断り」の看板。
白人の子供が黒人の大人に黒人に向ける侮蔑的な言葉。
カイヤは白人の子供だが、沼地の不気味な少女としてこちらも大人があからさまな差別をする。

後に、カイヤはある殺人事件の被告人席に座らされることになるのだが、まず、事故か、殺人かの明確な証拠もない。
彼女が犯行に及んだ証拠と呼べるものが何もない。
彼女には遠距離に行ったアリバイがあったにもかかわらず、その遠距離から深夜のバスに乗れば犯行は可能だった、などと到底起訴されるに至るはずのない状態にもかかわらず、殺人犯として裁かれようとしている。
アメリカの陪審員制度というのは考えてみたら、怖い。
こういう田舎の小さな街での陪審員とは街の人たち、全員、沼地の少女を知っている。
証拠がどうだろうが、心象だけで無罪の人を有罪にすることが出来てしまうのだ。

この本、全米700万部突破、世界で1100万部、日本では本屋大賞翻訳部門1位と大ヒット作。

2019年、2020年にこの本がアメリカでバカ売れしたのもトランプ政権下で、白人警官による黒人への暴行死事件など、これまで表に出ていなかった人種問題が再度浮き彫りになった事も背景にはあるのではないだろうか。

ザリガニの鳴くところ  ディーリア・オーエンズ著