13日間 – キューバ危機回顧録


第二次世界大戦後、最も核戦争に近づいた時期がある。1962年のキューバ危機と呼ばれた時期がそうだ。
スティーヴン・キングの『11/22/63』の中で、アメリカの国民が明日にも核戦争が起きると思い込むその狂気の日を過去へ旅する主人公が目の当たりにする場面がある。

ソ連がアメリカの目と鼻のさきにあるキューバにミサイル基地を次々と構築して行く。
そのミサイル基地から発射されるミサイルはアメリカのほとんどの主要都市を射程圏におさめる。
その時のアメリカ政府の対応と対するソ連政府の対応如何では、世界で核戦争が勃発しかねないギリギリの瀬戸際だったのだ。

長崎・広島の惨劇を知った後にも核兵器の使用を進言していたアメリカの軍人はいくらでもいる。
朝鮮戦争の際のマッカーサーがそうだ。あの戦争は北と南の戦いというよりも事実上アメリカ軍と中共軍の戦いだったので、核を落とすなら、北鮮ではなく中国本土へ、ということだったのだろう。
ベトナム戦争の際も何万トンの爆弾を投下するより、さっさと核爆弾を落とせばいいのに、と言っていたアメリカの将軍は何人もいたという。

だがそれらとはちょっと次元が違う。
ソ連相手の全面核戦争となれば、それこそ人類の存亡の危機、と言っても過言ではない。

アメリカ大統領の周囲で最も強硬なのが、直ちにキューバを攻撃すべし。キューバへミサイルを落とすというもの。

ケネディはその時に議論された中で最も穏便な策、キューバの海上封鎖に乗り出す。

その後、ソ連船が数隻、近づいて来た時、その後の数時間で大統領は最終決断を迫られる。
ソ連船がUターンしたために最終決断には至らなかったが、今度はキューバを監視していた偵察機が撃ち落とされる。
当然の如く、報復措置を取るべきという意見の中、ケネディはフルシチョフへ書簡を送り、最悪の事態を回避しようとする。

ケネディが素晴らしかったかどうかの真価は、彼が暗殺されずに長期政権を担っていて初めて可能なことだろうが、もし、このキューバ危機の際のアメリカのトップとその参謀がブッシュとラムズフェルドだったとしたら、おそらく、早期にキューバ攻撃の決定を下したのではないだろうか。

ケネディの取った措置は、相手の立場を考えつつも言いなりにはならない、というもの。
フルシチョフはキューバからミサイルを撤退するに当たって、トルコにあるアメリカのミサイルを撤退させることを交換条件にあげる。
ケネディももともとトルコから撤退したかったので、本来なら渡りに船なのだが、それを飲む形だとソ連に脅されて撤退した形になってしまう。
断固、それは行わない代わりに、ウ・タントを経由して、またフルシチョフと直接の書簡のやり取りにて、最終的に危機を脱出する。

その後も、この一連の出来事を外交的勝利の用に喜んではならない、とあくまでもソ連のメンツを考慮する。

一連の流れを見るとソ連が一方的に悪く見えてしまうし、ボールを握っているのもソ連側。
ただ、フルシチョフの言い分にももっともなところがある。
キューバに基地が出来たところで、まだ海を隔てているじゃないか。ソ連とトルコは陸続きの隣同士なんだよ。
そっちを撤去せよというなら、そっちも撤去するのが筋だろ。・・・なるほど確かにうなずける。

それにしてもキューバにミサイル基地が出来ただけで、これほどの騒ぎになるアメリカ。

北朝鮮の弾道ミサイルは日本列島を超える能力は持つ。
それに核開発も進められている。
にもかかわらず、迎撃はまず無理だろうと言われるPAC3を数台持つだけの日本。
基地建設どころか、ミサイルが発射されたってそんなに恐怖に脅えることも無い。
この違いはいったいなんなんだろう?

13日間-キューバ危機回顧録 ロバート・ケネディ著