カテゴリー: 逢坂 剛

オウサカゴウ



果てしなき追跡


五稜郭の戦いにて討死するはずの新選組の土方歳三が、実は討死せずに、生き残っていて、アメリカへ渡っていた。
この設定は、源義経が奥州にて討死したのではなく、逃げおおせて大陸へ渡ってチンギスハンになった、という無理くりの伝説よりもまだ無理があるように思える。

土方は、死地を求めて蝦夷へ入ったと思っている。
新選組のかつての同志たちも一部は残ったが、盟友近藤が首をはねられ、沖田は東京で病に倒れ、ずっと行動を共にしていた斎藤一とも考え方の違いで会津で別れた。

まだまだ新政府軍に一泡ふかせてやるぐらいのごとは考えていたとしても、その先のことなど一切考えていなかったのではないか。
政治的な事には一切、興味を持たない。
近藤が政治談議などに顔を出した始めた時もわれ関せず。
五稜郭では榎本や大鳥などの外交交渉などは全く興味が無かっただろう。

新政府軍に出頭した近藤は切腹はおろか斬首の上、梟首されたのだ。それを知っている土方には華々しく戦って散って行く以外にどんな道があっただろう。

仮にアメリカへ渡ったところで南北戦争の真っただ中なら、土方にも活躍の場もあるかもしれないが、南北戦争も終わったところへ行かせてこの作者、土方に何をやらせるつもりなんだろう。

物語は、土方が新選組の隊士を一名、アメリカに逃がそうとする。
その隊士、英語に明るいこともあったので、君は生き残って将来の日本のためになれ、とか、あまり土方が言いそうになさそうな事をいい、アメリカ船籍の船長に密航の話をつけてくるが、戦のさなか気を失ってしまった土方をその隊士が自分の代わりに船に乗せ、密航させる。自分の妹も介添え役としてお供させる。

土方が正気ならこの立場になった時にどうしただろうか。
船を乗っ取って、函館へ引き返して新政府軍に海から殴り込んだかもしれない。

物語では土方は記憶を失ってしまうのだ。
新選組だったという記憶も、戊辰戦争を戦って来た記憶も、一切無し。

どのタイミングで記憶を戻すんだろう。その時の反応と行動だけが楽しみなのに、とうとう記憶を戻さない。

タイトルの「果てしなき追跡」だが、追跡しているのは誰かと思いきや、同じ船に乗っていた入国取締官。

今でさえ不法入国者が後を絶たないから、メキシコとの間に壁を作ろうだのと言う話になるんだろう。

今よりももっともっと移民の多かった頃だろう。一旦、入国してしまった者を誰が追いかけるのか。
まして、到着した港近辺だけならまだしも、西部一帯をずっと追い続けるのだ。

この話、ストーリーとしてほとんど完結していない。
続編が出るとのことだが、続編は一巻目がそれなりに物語として完結してこそ、期待されるんじゃ無いのだろうか。

また、土方歳三が出て来るから、と思ってそれを期待して読み始めた人には、おそらく残念感満載だろう。

土方の事は一切合切忘れて、単にその時代のアメリカ西部をかけまわる日本人とアメリカ人の話と思って読めば、まぁ楽しめるのかもしれない。

果てしなき追跡 逢坂 剛著



北門の狼 (重蔵始末6)


主人公の近藤重蔵という人、実在の人物である。

江戸時代の幕僚でクナシリ(国後)、エトロフ(択捉)の日本帰属の礎を作った人と言えようか。
本書の中では国後も択捉もカタカナ表記なので、ここでもそれを倣うことにしよう。
アイヌ民族も本書ではアイノと表記されているのでそれも以下倣うこととする。

近藤重蔵の名前はおそらく日本史の教科書に名前ぐらいは載っていると思うがさほど知名度は高くない。同じ様な位置づけでは樺太へ渡った間宮林蔵の方がはるかに知名度が高いだろう。

本書では重蔵が幕府の巡察使として蝦夷へ渡る。
松前藩の不正を暴き、蝦夷の開拓と海防を幕府の直轄の下で行うべき、との建言のための巡察なのだが、もう一つの目的があった。
重蔵はエトロフが日本領土であることを宣言するために、エトロフまで渡り「大日本恵土呂府(エトロフ)」と記した木柱をエトロフにおったててくるのである。

それより以前に松前藩はエトロフまでを支配し、幕府の地図にも島の名前があったという本もあるが、本書の中では松前藩はクナシリには勤番所を置いていたが、エトロフは交易のみで勤番所も無かったとある。エトロフについてはっきりとここは日本の領土だ!と宣言行為を行ったのはこの近藤重蔵が始めてだったのかもしれない。

その木柱には重蔵本人の名前、同行した最上徳内の名前、さらに念の入ったことにその下には、アイノの主だった人たちの名前も彫らせたのだとか。
のちに見た人がそこに住むアイノ達もちゃんと認めているんだよ、と念を押したかったらしい。

クナシリもエトロフも戦後ソ連に占拠されたまま、ソ連崩壊後のロシアにてもその状況は変わらない。そしてあらためて北海道の地図を見てみると、根室半島と知床半島の真ん中にクナシリ島があり、クナシリ、エトロフの両島はまるで北海道のあんぐりと開けた口に向かって矢を突き立てられているようにも見えてしまう。

ロシアもプーチン以降のチェチェン紛争、グルジア侵攻などを見る限り、ますます昔ながらの覇権国家の姿を表し、領土返還など交渉の土俵にすら上がりそうにない。
既に外交交渉の期を逸してしまったのではないか、とすら思えるほどである。

本書はそんな重蔵のエトロフ行きを書きながらも、もう一つ重要な要素である本来の先住民族であるアイノの人々との接点についての記述がかなり念入りである。

実はこの本と相前後して鶴田知也の芥川受賞作『コシャマイン記』を読んだのだが、片やの重蔵始末が本州人の視点から書かれているとすれば、コシャマイン記の方はアイヌ民族の視点から描かれている。

重蔵始末ではアイノは、蝦夷と呼ばれることを嫌う(夷とは野蛮人の意)とされているが、野蛮人と呼ばれること云々よりも、そもそもアイノ側からしてみれば本州から渡って来た人たちこそが、異民族であり、野蛮人だったのかもしれない。

インカ帝国を滅ぼしたスペイン人、インディアンを駆逐した後のアメリカ人、アボリジニの生活圏を奪った後のオーストラリア人かの如くに。

もちろん、上の様な一方的な武力侵略の例と、当初は交易を通じ、そして永年を経た後に徐々に同化していったものを同じ扱いには出来ないが。

「重蔵始末」という話かなりはもちろん脚色されたフィクションなのだろうが、登場人物にはかなり実在の人物を配しているし、歴史背景などもかなり忠実である。

重蔵がエトロフに渡った際にイコトイというアイノが登場するが、コシャマイン記にも同じ名前のアイヌの酋長が登場したのには少し驚いた。

アイノの人達に溶け込み、髭を伸び放題にしてしまうとアイノと見分けがつかなかったという最上徳内も実在の人物。そのキャラクターは作者の作りかもしれないが。

重蔵は運上屋と呼ばれる現地請負人を使って、アイノの実直な気質につけ込んで分の悪い交易を押し付け法外な利益を上げる、と松前藩を批難するのだが、はてさて幕府直轄にしたからと言って、果たしてアイノの位置付けが変わったのだろうか。

それは明治以降が証明しているか。
元々は、アフガンやパキスタン北部などに今も残っているような部族社会。
部族社会はいつまでも部族社会のまま放置させてもらえない、ということなのだろうか。アイノは交易相手としての存続もままならず、言語も風習も民族も皆同化し、わずかに地名などにその存在の名残りを残すのみになってしまったのである。

北門の狼 重蔵始末(六) 蝦夷篇