虚ろな十字架東野圭吾


ちょっと買い物に行くその間だけ幼い娘を留守番に残し、そのちょっとの間に強盗に入られ、わずか数万円のために娘を殺害されてしまった夫婦。
我が子を殺害されたばかりというのに真っ先に疑われたのがその両親だった。警察への連絡の後真っ先に事情聴取され、妻にいたっては一日で返してもらえないほどに執拗に聴取され続けた。
娘の遺体があざだらけだったり、近所でも有名な児童虐待の家ならそうかもしれないが・・・。

二人は掴まった犯人には極刑を望むが、一審では無期。控訴してあっさりと死刑判決。

そこでぽっかりと空洞が空いたような喪失感。
結局夫婦は離婚してそれぞれの道を歩こうということに。
極刑を望んで、もしそうならなかったら、二人で焼身自殺をして抗議しよう、とまで意気込んでいたのに。望みどおりの判決となったのに。

かつて妻を強姦された上に妻と子供を殺害された男性が、犯人の死刑を望んで運動をしていたことがあったっけ。
あれも最初の判決であっさりと死刑が確定していれば、あの人はあの運動を起こすこともなく、それこそ魂の脱け殻のようになってしまっていたかもしれない。なんとか極刑を、と訴え続け、運動することこそが生きる力になっていたかもしれない。
あの人は今頃どうしているのだろう。

さて、別れた夫婦だが、今度は元妻の方が殺害されてしまう。
犯人は早々に自首して来た後に、元夫は別れた後の妻の行動を追う。
妻は離婚後、フリーライターとして活動していた。

頼まれ仕事とは別に
「死刑廃止論と言う名の暴力」というタイトルの文章をを執筆。
もうすぐ出版するというところまで書きあげていた。
その文章の主旨は、
「人を殺めた人は命で償うしかない」
「刑務所という更正施設で人は更正などしない」
というもので、自らの体験談はもちろん、被害者遺族の取材、死刑を減刑する側の弁護士への取材も試みた内容だった。

「虚ろな十字架」という本のタイトルもその亡くなった元妻の文脈の派生による。

ならば、この「虚ろな十字架」という本も一見「死刑廃止を許すまじ」が主旨の様にも受け取れるが、そこはどうなんだろう。

話の終盤で出て来る話。
若気の至りで過ちを犯してしまった人の奥さんの言葉。
この人は、その一人の命と引き換えに自分達親子二人の命を救ってくれた。
今も尚、他の数多くの命を救っている。

「人を殺めた人は命で償うしかない」のかどうなのかの判断を読者に委ねようという試みなのかもしれない。

とはいえ、救いようのない犯罪というものはあるもので、上の母子殺害事件などは死刑以外の選択肢があるとはそうそう思えない。

虚ろな十字架 東野圭吾著

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