カテゴリー: 伊坂幸太郎

イアサカコウタロウ



逆ソクラテス


伊坂幸太郎氏の書いたもので短編というのはあるにはあるが、どちらかと言えば少ない。
小学生が主人公となるともっと少ない、というよりそんなのあったっけ。

人を見た目だけで判断するのというのはありがちなことだ。
偏見というのもありがちなことだ。
自分の小学生の頃ってどうだったっけ。
見た目、というより、そいつの行動で判断して揶揄したりしていた気がする。
授業中にうんこをもらしたやつをその後もえんえんと「うんこ」というあだ名で呼んでみたりした。
二十歳を過ぎてから「うんこ」に再会した。取り巻きからは「フンコはん」と呼ばれ、かなり慕われている。喧嘩も強けりゃ酒も強い。強引で押しが強く、怖いもの無し。知的で機転が利き、後輩の面倒見もいい。
彼は「うんこ」という呼ばれ方を捨てなかったのだ。
彼はまわりから「うんこ」と呼ばれる事など平気で逆にそれを楽しみ、周りの方が、気を使って、うんこをフンコに変え、さらに敬意を込めて「はん」までをつけてもらっている。

そこまでで無くてもそんな話はいくらでもある。

教師が偏見を持っては行けないのは当たり前なのだろうが、我々の小学生時代どはそんな教師ばかりだったように思う。

教師がピンクの服を着ている生徒に「女みたいだな」と言った事から彼は他の生徒達から馬鹿にされるようになると言う話。
それをなんとかくつがえそうとする正義感溢れる友人。
「できない生徒」から「できる生徒にしてやろう」と奮起し、やりすぎて危ない橋まで渡りかねない。
生徒を見た目だけで判断してしまう教師に対する、伊坂氏の憤りが良く伝わってくるのだが、 彼の奮起で変われたこの生徒はそんなに奮起してやらなくてもいつかは変わったのではないか、なんて思ってしまう自分は時代遅れの人間なんだろう。

この馬鹿にされていた生徒の行く末があまりにも痛快で、こういう痛快なところが伊坂氏らしくて大好きなのは変わらない。

「逆ソクラテス」「スロウではない」「非オプティマス」「アンスポーツマンライク」「逆ワシントン」の5篇。
5篇を通して、伊坂氏の訴えたかったことは、

・人を見た目で判断するな。
・先入観で決めつけるな。
・怒鳴ってばかりいるのは指導者失格だ。
・失敗はやり直せる。

というようなことだろうか。
主人公の小学生はどちらかと言えば、常識的でおとなし目。彼の横に居るのがぐいぐい積極的に動くタイプの友人。

一作目の「逆ソクラテス」でも主人公の隣に必ずいる安斎という少年。
彼はいいキャラクターだ。

この安斎君の様に筋の通らないことにはいつでも「僕はそうは思わない」とはっきりいえる人間になって欲しいという伊坂氏の願いが込められている気がする。

案外「フンコはん」もどっかのタイミングで安斎君に出会っていたのかもしれない。

逆ソクラテス  伊坂 幸太郎 著



シーソーモンスター


「シーソーモンスター」「スピンモンスター」の2作がおさめいるされている。

シーソーモンスターを読み始めた時、これはかなり以前に出版された本だったのか?と一瞬思ってしまったが、米ソ冷戦の話だったり、バブルがどうもはじける前の話になって来たので、時代背景をそこに置いただけかと納得した。
伊坂氏にしてはさすがに古すぎだろ。

単なる時代設定にしても何ゆえ、敢えてバブル全盛期を背景に書く必要があったのだろう。
ひょっとしたら急に舞台を現代に時代を変えて来るための布石なのか?と期待したが、そのままの時代で幕は下りた。

嫁と姑の間に挟まれる可哀想な男の話から始まるが、その嫁の方が実は諜報機関の元キャリアで、頭脳明晰・格闘技万能。
亭主はそんなこと一切知らない。

格闘術だけでなく、その場その場にて臨機応変に対応できる人とのコミュニケーション能力も抜きんでているわけなので、姑とのコミュニケーションなど容易い事だと思っていたが、どうにもこの姑にだけはそれがうまくできない。

それどころか、何年か前に舅が事故死したのも、実は姑の保険金目あての殺人ではないか、と疑い始めるとことまで発展する。
その先はネタバレになるので書けないが、最終的には適度ないい距離に落ち着く。

方や「スピンモンスター」は近未来。
全く別の話だと思って読み進めて行くうちに、「シーソーモンスター」の登場人物が出て来て、話は繋がっていたのか、と気づかされる。

この近未来なかなか現代への風刺が効いている。

2021年の現代、政府の目標はデジタル社会の実現。

そのデジタル化の行きつく先への反省もあってか、人々は電子化に抗い、手書きの紙媒体を配達人という民間を使って、人手で持ち運ぶと言うメッセージのやり取りを始める。

もちろん、停電などの災害続きで電子データのもろさが露呈してしまったことや、SNS等のデマ、誹謗中傷などももう辟易としてきたことも相まってのことだろうが、何より一旦電子データにするイコール誰かに読み取られることを覚悟しなくてはならないという恐怖があってのことだろう。

とは言え、一旦構築されたデジタル社会。
そう簡単に覆されることは無く、今のスマフォに類似の端末で一元化された個人情報にて人の動きも金の動きも即座に明らかにされてしまう。

ここで二人の濡れ衣を着せられた男たちの逃走劇が始まるあたり、「ゴールデンスランバー」を彷彿とさせられるが、この近未来では、ニュースそのものがどんどん捏造されて行き、起きてもいない事件がどんどんニュースで流され、彼らは起きても居ない事件の首謀者として指名手配並みにニュースで流される。

それらの偽ニュース、全部AIが作ってAIが報道している。
というあたりは「ゴールデンスランバー」よりもはるかに怖い。

主人公には因縁の相手がいる。

小学生のころ 自動運転の自動車事故で肉親全てを失い天涯孤独。
全く同じ境遇なのが、その自動車事故でぶつかって来た相手の家一家。
小学生たった一人が生き残り、その二人が、高校でも出会い、この逃走劇でもまた出会う。

この二人の憎悪こそ、「シーソーモンスター」での姑と嫁の関係と同じ海族対山族ということなのだが、何も強引に海族対山族に持って行かなくても・・と思ってしまうが、

どうもこの「シーソーモンスター」と「スピンモンスター」という2作、
「螺旋プロジェクト」という計8人の作家が古代から未来までそれぞれの時代を舞台に海族と山族の対立を軸に描かれる大物語の中の二つの時代を伊坂氏が任されたということらしい。

他の作家のものも読みたくなってしまった。
諜報部員の奥さん、出てくるんだろうか。

シーソーモンスター  伊坂幸太郎著



ホワイトラビット


仙台の閑静な住宅街の一戸建てで起こった立て籠もり事件。
犯人の要求はある男を連れて来る事。
その男の特徴はやたらとオリオン座に詳しく、語りだしたらとまらないということ。

今回の話には
オリオン座の話がやたらと登場する。

もう一つ「レ・ミゼラブル」もやたら登場する。

「レ・ミゼラブル」を読んだ人は多いだろうが、ちゃんと内容を覚えている人がどれだけいるかと思うと、心もとないが、この中の登場人物たちはかなりの「レ・ミゼラブル」通だ。
私も中学時代に読んだし、ジャンバルジャンの名前ぐらい覚えているが、そのセリフまでなんて出てくるはずもない。

ホワイトラビットと言う小説、なんという奇想天外な構成なんだろう。

時間が前へ行ったり、後ろへ行ったり、こんがらがることこの上ない。
それでも最終的にはちゃんとわかるようになっているところが伊坂幸太郎さんの巧みなところ。

発生時刻の順に話が進んでいけば、なんのことはないのだが、時間を前へ後ろへと行ったり来たりすることで、何度もどんでん返しのようなことが起きる。

と言いつつも二度読みして、なるほどね、とあらためて途中まで作者のたくらんだしかけにまんまとはまっていたことに気が付くのだ。
どこをどうピックアップしようにも全部ネタバレになってしまいそうで内容はほとんど書けない。

おそらくこれだけ何度も登場させた以上、「レ・ミゼラブル」の手法を被らせたのだろうが、「レ・ミゼラブル」でそんなに行ったり来たりがあったんだったっけ。
あまりに昔に読みすぎてもう覚えてない。

誘拐ビジネスという新たな犯罪手法を編み出す輩が出てくる。

「誘拐という犯罪は割に合わない」というのが一般的な見方だろうが、このビジネスを編み出した男の発想はまた違う。

身代金ウン億を要求するような拙い事はしない。

出来る範囲の事をやらせる。払っても惜しくないぐらいの金を要求したり、それは金でなくても、その人の得意分野で出来る範囲のことをやらせる。

投資家なら特定株を買う、もしくは売る。
何かの賞に推薦できる立場なら誰かを推薦する、もしくはしない。
手術をする立場なら、オペをする、もしくはしない。
そういう行為が身代金代わりだ。

伊坂さんがこれを世に出すことで、その新たなビジネスがはびこらねばいいのだが・・・。

ホワイトラビット 伊坂 幸太郎著<br />” width=”86″ height=”120″ border=”0″></p>
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