カテゴリー: ナ行



スピノザの診察室

少し前のNHKのドキュメンタリーで、北陸地方の田舎町での過疎医療を行う診療所の老医師がピックアップされていた。

その田舎町の人全員の医療を受け持つ、ある意味ドクター・コトー的な存在。

老齢化が進む過疎だけに死を看取る事も多い。
まさにこれから死を待つのみという老患者やその家族への接し方が明るく、フレンドリーで悲壮感はこれっぽっちも無い。

こちらの舞台は京都市内。過疎地域とは全く違うが、死に寄り添う医師の話。
かつては大学病院で将来を嘱望された最先端医療に携わるエリート医師だった。
妹が若くして亡くなり 一人残された甥と暮らすために大学病院を辞め、末期患者に寄り添う地域に根差した医療を行う小さな町中の地域病院で働く。

この先生の患者への取り組みを読んで行くにつれ、冒頭のドキュメンタリーを思い出した。

大学病院の先生なら病気を見つけて治すのが医者の仕事だと思っているでしょう。
地域の町医者は違う。
もちろん治る事、治す事が目的の場合もあるでしょうが、ほとんどの場合は、医者の仕事は治すことではなく治らない病気にどうやって付き合っていくのか、ということ。

もう、ダメだろうと諦めかけている患者に対して、この先生は「頑張れ」とも「あきらめるな」とも言わない。
ただ「急がないで」と言う。

ただ、マチ先生と呼ばれているこの先生に看てもらった患者さんなら共通して言えるのは、マチ先生に看取ってもらいたい、ということだろう。



滅びの前のシャングリラ


凪良ゆうという作者、読ませますね。
この本読むの二度目ですが読み始めたら、もう止まらない。

1ヶ月後に地球が崩壊する。正確に言えば地球は崩壊しない。
巨大隕石が地球に激突するらしい。
人類は消滅する。

ネット記事を見た人達はどうせガセだろ、と笑い飛ばしていたが、首相が会見するに至って、どうやら本当なんだと皆、気づき始める。
一か月で皆が死ぬ。

さて、ここに登場する登場人物たちは皆、複雑だ。
学校で虐められてパシリをさせられていたポッチャリさんの少年、友樹。
小学生の時から憧れていた高嶺の花、NO.1美少女の同級生女子に虐められている現場を見られ、世界など滅んでしまえ、などと思ったりする。

方やその高嶺の花の方の同級生女子、雪絵。彼女も女王様のような立ち位置にいながらも複雑な問題を抱えている。養女として今の親に引き取られたのが幼いころ。養父母は彼女に実の親でない事は打ち明けつつも、愛情いっぱいに育てられた。その養父母に実子が埋めれる。養父母は分け隔てなく愛情を注いでくれるのだが、妹の名前が真実の子と書いて真実子。養父母にそういう意図があったかどうかはわからないが、愛情は妹に注がれ、だんだんと居場所がなくなっていく。
そんな時に起きたあと1ヶ月。

東京に住むどうしようもないヤクザもの。正式なヤクザ(組)にも入れてもらえず、便利使いばかりさせられている。喧嘩だけは滅法強い。兄貴分から便利使いで鉄砲玉を引き受けさせられる。そんな時に起きたあと1ヶ月。
実はこの男、いじめられっっこポッチャリ君の実の父親だった。

ポッチャリ君の母親、なんだかんだで一番強いのがこの女性。
あと1ヶ月と言われたって普通に平気で会社へ行こうとしたりする。

あと1ヶ月が宣告されてから雪絵はたった一人で東京へ向かおうとする。人気絶頂の女性歌手のLocoのライブが目的だという。その彼女を守ろうと友樹も東京へ向かう。

そにしてもどうだろう。

日本はこんな無茶苦茶な状態になるだろうか。
車は渋滞だらけ。いったいどこへ向かうんだ?
皆が仕事などやってられるか、となれば、店も開けてられない。物が無くなる。
無放置、無秩序、無政府状態でどの店も襲撃され、物を奪い合うのかあちらこちらが死体だらけって。

地球に10キロメートル超の巨大隕石が衝突する。
地球を救うブルース・ウィリスは存在しない。
しかし、落下場所もほぼ特定されている。南半球のどこかだ。
確かに大津波は来るかもしれない。
それでもその日を持って全人類が消滅するわけじゃないだろう。
その後異常気象は発生するだろうし、何年、何十年先に氷河期が訪れるかもしれない。
作物が取れず、食糧危機は来るかもしれない。
その日にすべての人類が死に絶えるのではなく、死に絶えるかもしれない危機の始まりが来る、という事なんじゃないだろうか。
全ての地域が崩壊するわけじゃないだろうから政府は食糧備蓄を各地に分散させたり、生きるための努力があちらこちらで始まるのが本当なんじゃないだろうか。

なーんて読み方をすると、この話は面白くない。
あくまで、その日で人類消滅、それを全員が信じている前提でないと。

そんな中で不思議な家族が誕生する。
友樹と雪絵と友樹の父親と母親。
彼らはこの1ヶ月をこれまでの人生の中で一番楽しんでいるのかもしれない。

女性歌手のLocoにしても同じく、この1ヶ月はようやく自分を取り戻す大事な期間となる。

滅びの前の1ヶ月だというのに登場人物達は皆、これまでの人生で一番幸福感を味わっている。
なんという皮肉だろうか。

最高に楽しい一冊だ。

滅びの前のシャングリラ  凪良ゆう著



流浪の月


なんだろうな。
加害者、被害者扱いされている人たちは一切、加害者でも被害者でもないのに、一旦、事件として扱われてしまうと、このSNS世界、未来永劫、加害者として蔑まれ、被害者として同情され、監視され続けなければならないのだろうか。

自由奔放な母親と父親の元で育った更紗という名の少女。
両親なきあと、堅苦しい規則で縛られた伯母の家に引き取られたことが、まず嫌で仕方ない。
堅苦しい規則と言っても伯母に言わせればそれが世間の常識。
伯母の家でたまらなく嫌だったことはそれ以上に、その家の息子、普段は厄介者、いそうろう扱いをすいるくせに晩になると更紗の身体を触りに来る。

それが嫌で伯母の家に帰らず、毎日暗くなっても公園でずっと一人で本を読んでいる更紗。
同じく公園で一人で過ごす大人の青年。青年と言っても大学生なのだが大人は大人だろう。

いくら一人ぼっちでさみしそうだからと言って、一人でいる女の子(彼女はまだ9歳だ)に大人の男がまず話しかける事は、今のご時世、まずアウトだろう。
いや、10年前、20年前でもアウトかもしれない。
「うちに来る?」これはもう完全にアウト。大人の方が男でも女でもアウトだろう。
この言葉だけで逮捕されるかもしれない。
彼の方も誘拐をしたわけでもなく、彼女も誘拐をされたわけでもない。
少女のやりたいようにさせてあげただけなのだが、少女がいくら「行く!」と言ってついて来たからと言って保護者への連絡もなく家の中に入れてしまった段階で、もしくは一泊させてしまった段階で、誘拐犯扱いされることはわかりきっていただろうに。
もちろん監禁もしていない。
彼女に指一本触れていない。
帰りたければいつでも帰ればいい、と毎日大学へ行くのだが、彼女の方が帰りたくないのだ。あの嫌な家へ。
心優しいこの青年が彼女の自由にさせた結果、それが一カ月になり2カ月になり、失踪事件としてとうとうテレビのニュースで名前と顔写真まで出てしまう。

案の定、青年は誘拐監禁容疑で逮捕され、少女は嫌な伯母宅から児童施設へ引き取られる。
さて、問題はその後なのだ。
一旦、名前が出て顔写真までさらされてしまった少女は成長した後も名前で検索を掛けると必ず、過去の事件が明るみに出てしまう。
心優しい親切心のある人でも誘拐されたかわいそうな女の子として扱い、そんな何カ月も監禁されてさんざん弄ばれたんだろうと想像を逞しく好奇の目で見られる事も。
可哀そうでも何でもない。彼は何もやってないんだから、などと一言おうものなら、やれ「ストックホルム症候群」だ。まだ、精神的後遺症が残っているんだ。と彼女の真実は誰にも伝わらない。

それは青年の方も同じで、というより加害者側なので当然もっとひどいだろう。
こうしてインターネット・SNSが普及した現代においては一旦世の中を騒がせてしまった事件の当事者になってしまうと、どこでどんな仕事につこうと、いくら転職しようがと、WEB検索で過去の事実とは違う出来事と今の彼女がいつも世間にさらされる。

以前、ある中学生が残虐な連続殺人事件を起こした、ある高校生がが残虐なレイプ殺人事件を起こしたなどのニュース、かなりセンセーショナルに取り上げられたりする。
が、本来死刑相当の犯罪なのに捕まった後は、少年法に守られ、10年もたてば、罪の意識も持たず、普通に社会人として幸せに暮らしているみたいな話がまことしやかにささやかれたりすることがあるが、それを聞くと亡くなった被害者との落差になんと理不尽な!と憤ったりするが、この本の主人公たちの様な事例は想像した事もなかった。
目新しい視点で、今のSNSの怖さをあらためて思い知った気がする。

流浪の月  凪良ゆう著