テロルヤスミナ・カドラ著
イスラエルの病院に勤めるアラブ人の外科医。
ベドウィン族の出でありながらも苦労してイスラエルの国籍を手に入れ、富裕層の暮す一帯に住宅を構え、妻にも何一つ不自由をさせていない。
ある日、勤務先の近所で自爆テロがあり、彼は運びこまれる怪我人に治療を行うのだが、死者数十名。
その大半がファミリーレストランでパーティを開くはずの子供達だった。
そしてその死者の中に彼の妻が居た。
あろうことか、警察は自爆テロを起こしたのは彼女だという。
そうしてこの医者の真実を巡る旅が始まる。
実際にこのテロを起こしたのは彼の妻であることがわかってくるのだが、彼にはどこまで行っても納得出来ない。
この本、方や強制収容所で殺されたユダヤ人達の悲惨な過去を生き延びた老人の口から語らせ、方や民族の国家を失われ、戦車で蹂躙されるパレスチナの人達のからその苦渋を語らせる。
主人公の医者はベドウィン族でありながら、イスラエルに帰化した者として、アラブ側から言えば裏切り者であり、背徳者であり、神を持たない者であり、嫌悪するべき存在。
方やイスラエル側には親しい友人は居るとはいえ、至る所でアラブの犬ころやろう扱い。
まして妻が自爆テロを起こした、ということで自分の家を一歩出れば袋だたきにあう。
ヤスミナ・カドラのもっと後の作品「昼が夜に負うもの」の中に登場する主人公はアルジェリア生まれのアラブ人でありながら、西洋人の行く学校へ行き彼らと親しく育つが、アルジェリア戦争が本格化すると中途半端な立場に立ってしまうのと立場的には若干似通っている。
この主人公医師は怪我人を治す立場としても、何の罪もない子供達を自爆テロで殺していい理由などあるはずがない、と思い続けるが、自らの土地を奪われた側にすれば、彼の妻は聖女となり、彼は自らのアイデンティティを失った憐れな男となる。
訳者は「あとがき」の中で作者はユダヤ側にもイスラム側にも肩入れをせずに淡々と書いている、と言うが、主人公医師が「何故だ」と嘆く中、それを批難する形で徐々にヤスミナ・カドラは、イスラム側へ肩入れしているように思える。
第二次大戦の中で、最も無策中の無策と言われる神風特攻隊。
その無策であるはずの神風方式を受け継いだのが、アラブ系のムジャヒディン達。
この本でも自爆テロのことを「カミカゼ」「カミカゼ」と呼んでいる。
確かにテロの惨劇を起こしたからと言って、土地を奪われた人々にメリットがあるわけではないだろう。
だが、自分から起こした戦争で負けて奪われたのでもなんでもない。
ある日突然、ユダヤがやって来たのだ。
ある日突然、ユダヤに与えられたのだ。
自分達の先祖父祖の地が。
彼らには他人の蔑視や自己嫌悪の中で細々と生き永らえることを良しとしない。
品位か死か、尊厳か死体か。
彼らにはかつて無策であるはずの「カミカゼ」こそが、最も彼らの心情にフィットするものなのかもしれない。
憎しみの連鎖は止まりそうにない。