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ガースニクス



スナーク狩り


「スナーク狩り」このタイトル、一体全体何を狩ろうとしているんだろうと非常に興味をそそられた。

一旦、別れたとはいうもののその妻と娘を残虐な殺人犯に殺された男が登場する。

織口という名の年配の男である。職場からは皆から「オヤジ」でもなく「ジジイ」でもなく心優しい「お父さん」と慕われる男である。

この男の背負った過去はまりにも重く苦しい。
しかもそれは過去というだけでは済まされない。
今、生きている時にもそのおぞましさは重く重くのしかかる。

織口は私刑とか復讐など、元来考えるタイプの男では無い。
かつて教職員として少年を教育して来た頃の立場に戻って犯罪者がキチンと罪を償って更正する事、それだけを気持ちの支えとして裁判の公判にも何度も足を運んだのだろう。

著名な政治評論家に三宅久之という人がいる。
かつての長期政権の中曽根康元総理とも読売のドンである渡辺(通称ネベツネ)とも懇意の仲だと言われる人である。
その三宅氏がとある番組である地方の母子殺害事件についてこんな発言をしていた。

自分がその遺族の立場になっていたとしたら、自分は老人なのでその体力は無いが、「ゴルゴ13」みたいな殺し屋を雇ってでも必ず復讐するだろう、と。
その表情は激高していたと思う。

ゴルゴ13が三宅氏の前に現れるとも思えないし、三宅氏が殺し屋世界に顔が利くようには見受けられないのだが、そういう気持ちを持つ事そのものが家族に対する愛情であろうし、三宅氏にとっても本音ならば、家族を愛する人間は誰しもそんな事は思うだろう。

織口は復讐、報復などをハナから考えていたわけではあるまい。
ただ、公判を公聴に行くにつれ、殺された人間の事など全く度外視した、加害者の言い訳だけを何故、遺族は延々と聞かねばならないのか。
一体誰の為の法廷なのか、言い訳というものは減刑のためだけのものであって反省の気持ちやら更正の気持ちを表すものではもちろんない。
あまりに司法は加害者に対して甘過ぎるのではないか、加害者は反省の気持ちなどこれっぽっちも無く、放置すれば第二第三の犯罪を誘発するだろう。
それが織口の考えた結論である。

折しも、かつてのロス殺人事件疑惑の三浦元被告。限りなくクロにと言われながらも殺人容疑から控訴、控訴で結局証拠不十分で無罪。
事件が騒がれた当初から最期までマスコミの寵児であり続けたという、ものすごいキャラクターだった。
その三浦元被告がこの2008年2月後半というこの時期にサイパンでロス市警に殺人容疑で逮捕された。
事件(妻を保険金目的で殺害されたといわれる)から27年もの期間を経ている。
本人も日本の法廷で無罪を勝ち取って、とうの昔に終わっていたと思っていたであろうに。また仮に有罪であったとしても日本ではとうに時効を迎えている。

アメリカには殺人罪には時効が無いのだと言う。
もちろん日本の司法が無罪としたものに対して新たな証拠無しに「逮捕」という事に日本そのものの威信を傷つけられた、という思いを持った人も多いだろう。

三浦元被告そのものを今更どうのこの言うつもりは無い。
それでも全てひっくるめて、何やらできの悪い息子が好き放題してオロオロする両親を尻目に横から近所のオヤジが怒鳴りつけて来て来たような、なんともオロオロする側には情けないが、実は有り難い様な、妙な気分になった人もいるのではないだろうか。

三浦元被告の場合は有罪か無罪かの極論であり、有罪であればかなりの知能犯であって、母子殺害やら、一家惨殺事件のような狂気の人間の仕業とも異なる。
方や証拠不十分、方や責任能力の問題、だがいずれにしろ日本の司法よ、ちょっと甘すぎやしないか、と言う問いかけにはなったのではないだろうか。

この「スナーク」という言葉、言うまでも無くルイスキャロルの描いた伝説の生物であり、魔物とも怪物とも思える。

織口は魔物に支配されたわけではなく、まっとうに責任を果たそうとしたもの以外の何物でもないと一読者は思う。

この物語に登場する人々、織口を父の様に慕い、あろうことか犯罪を犯させまいと追いかける佐倉という正義感あふれる青年。

全く関係の無い生きずりの人達でありながら物語の展開に存在感と影響力を与えたサラリーマン一家。

この一家こそ、先々自らの有り方を取り戻すのではないだろうか、と思えるところが唯一救いではあるが、この話、何故そこまで皆をいじめるの?と聞きたくなるぐらいに正義感青年も皆、将来に心の傷を負う。

地方都市のちょっとした小金持ちの娘でお金に不自由無く自由奔放に生きて来た慶子という女性。

彼女の心の傷はかなり酷いものであろう。

彼女は初めて真剣に愛した男は彼女の不自由の無い金だけが目的で利用されるだけ利用されてまるでゴミ箱へポイっと投げられるかの如くに意図も簡単に捨てられる。

この男は上記の猟奇的な殺人者よりももっと悪質かもしれない。いや表現が違うな。タチが悪い、という表現が妥当だろうか。

人間の9割以上は出来損ないで俺たちの様な優秀な人間によって生かされているようなものだ、などと平気で考えられる男。

この男、大して出来が言いわけでもないのに司法試験に通っただけで既に世の中の勝ち組の気分でいる。

こんな男が現実に存在するなら、それこそロス市警に逮捕どころか、中国古代の極刑にでも値しそうである。

しかしながらである。
一流大学をいとも簡単に合格し(この登場人物の話ではない)司法試験だろうが、一流の高級官僚への登竜門だろうが、いとも簡単に同格してしまう人達は存在する。

彼らは自分以下の人間に対して
「そんな事もわからないで生きてるの?」等とは平然とは言わぬにしても心のどこかには多少なりとも優越の意識はあるだろう。

その優越の意識を持っても他者に対する侮蔑の意識までは距離がある。
だが、その距離というものは実を言えば自分が意識している無意識なのかぐらいの差なのである。
それが意識的且つ極端すぎて返ってバカに見えてしまうのが上記の司法修習生に他ならない。

「人間の9割以上は出来損ない。俺たちの様な優秀な人間によって生かされているようなものだ」

小泉内閣、阿部政権と比較的政治家主導の政権から福田内閣になってからというもの官僚政治に一時代戻った感がのある事は否めまい。

日本の中枢を動かし、支配し、政治家を操る超エリート官僚の意識の根底がそこだとしたら、全くお寒いというほかはない。

宮部さんにしてみれば古い作品の一つなのかもしれないが、また一つ何かを気づかせてくれた作品に他ならない。

ありがとう。宮部さん。

スナーク狩り 宮部みゆき



セブンスタワー


ちょっと変わった世界です。
世界は闇に覆われ、太陽からの直射日光にあたると人々はその暑さで消耗してしまいます。
この世界で明るいのは城と呼ばれる七つの塔のある場所だけ。
そしてその明るさもサンストーンと呼ばれる石も持つ力の明るさ。
七つの塔にはそれぞれ紫の塔、藍の塔、青の塔、緑の塔、黄の塔、オレンジの塔、赤の塔が有り、塔に住む人は選民と呼ばれ、紫、藍、青、緑、黄、オレンジ、赤はその階級を表します。
選民は労働をせず、選民になれなかった人、もしくは選民の地位をすべり落ちた人が地下民と呼ばれ、選民のために労働をします。

また城に住む選民にとっての世界は城の中だけで、その外の世界に人が生きている事を知りません。
暗闇の外の世界には氷民と呼ばれる人が何百もの船に乗って自然と戦いながら生きている。そんな奇妙な世界なのです。

ファンタジーものにはつき物の魔法使いでも魔術師とはちょっと違って、選民は魔法使いでも魔術師でもありませんが、自分の本当の影の代わりにシャドウと呼ばれる魔法の影を持ちます。
シャドウはその主人の危機を救い、また敵への攻撃を行ったりするのです。

選民は生まれながらにしてオレンジ階級ならずっとオレンジ階級という訳では無く、力の強いサンストーンを手に入れたり、魔法の国アイニールへ行って強いシャドウを手に入れたりする事で、上の階級に上がれる。

また、上の階級の選民に礼を失したりすると「光消しブレス」というものを受取り、それがいくつかたまると下の階級へ落とされる。オレンジから赤へ、赤から地下民へと。

主人公のタルは13歳の少年。オレンジ階級なので選民としては下から2番目。
その少年の父親が行方不明になり、母親は病気で伏せっているためにオレンジ階級での存続が難しくなったタルは、力の強いサンストーンを手に入れる為に冒険をおかし、その結果、城の外への冒険の旅へ出る事になってしまいます。

この階級制度、なんかインドのカースト制度を連想してしまいますね。
バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラとその階級に属せなかった不可触民、俗に言うアンタッチャブル。

実際に話を読み進める内に、カースト制度よりも寧ろエリート官僚の世界の方に近い様に思えて来てしまいますよ。
選民=キャリア、シャドウはノンキャリア。地下民が国民。
キャリアはその経歴に傷をつけないに気を使いながら、上の階級(出世)だけしか頭にない。国民の税金で飯を食うのが当たり前だと思っている。
もちろん、作者のガース・ニクス氏にそんな意図は無いでしょう。
これは読む側の勝手気ままな読み方というものです。

地下民の中にもその立場、地位を良しとせず、選民の為の労働を良しとしない「自由民」という人達が表れはじめます。
そのあたりから作者の意図は、ああそのあたりか、などと勝手に先を想像してしまいます。なんせ児童文学ですから。人間は皆平等なんだよ、という啓蒙的要素を含んでいるのかな?などと。

ガース・ニクス氏はオーストラリア人。オーストラリアと言えば、おそらく世界で最も移民の受け入れ度の高い国。元々先住民とイギリス移住者だったものが今では世界から200以上の異なる民族を受け入れているお国柄。
いかなる宗教にも言語にも寛容でいかなる差別も禁止、廃止の政策と言われています。
私の知人のシンガポール人もオーストラリアへ移住しました。

昨年のサッカーワールドカップで日本代表はオーストラリア代表に屈辱的な負け方をしてその後立ち直れなかったけれど、そのオーストラリア代表の中心選手は同じF組のクロアチア出身の選手だった。

なんか話がどんでも無い方向にそれてしまいそうなので、このあたりで終わりにしておきます。

ちなみにこの『セブンスタワー』ですが、『光と影』、『城へ』、『魔法の国』、『キーストーン』、『戦い』、『紫の塔』の計6巻で結構なボリュームですが、そこは児童文学。さほどのボリュームには感じません。

ちょっと毛色の変わったファンタジーものを読んでみたい方にはおすすめです。

セブンスタワー〈1〉光と影  ガースニクス (著) Garth Nix (原著) 西本 かおる (訳)