ナツコ 沖縄密貿易の女王奥野 修司著
与那国という島、日本の領土でありながらも防空識別圏は台湾にある。
自国の領空は自国の防空識別圏内にあるのが当たり前だが、戦後のドタバタで、米軍政府は与那国という島の存在に気が付かなかったのか適当に空の線を引いてしまって、それがいまだにそのままとなっているのだそうだ。
与那国という島、地図で見れば一目瞭然。本土はもとより沖縄よりもはるかに台湾に近い。
敗戦までは与那国も台湾も日本に帰属していた。
だから隣町へ行く感覚で与那国の人たちは台湾へ渡っていたしそれは敗戦後も米軍政府が気に留めない島ならなおのこと同じだったのだろう。
今は閑散としたこの与那国が最も栄えた時代が戦後の7~8年間。
島の通りは那覇の国際通り並みだったという。
沖縄よりも台湾の経済圏内にあった与那国が密貿易の中継地として最も適していたのだろう。
密貿易というと、麻薬の取引でも・・などと連想してしまいがちだが、決してそんないかがわしい類ではない。日本が戦争に負けて、東京も大阪も焼野原だが、沖縄は国破れて山河無しの状態だったという。
焼野原になった後も日本で無かった時代が続くのだ。進駐軍であるアメリカの軍政府は、日本との取引も海外との取引もさせない。それどころか群島同士間の商売も禁じてしまっている。
まるで沖縄全体を収容所だとでも思っていたのだろうか。
日本本土は戦後に復興していくが、沖縄の戦後とは日本人から忘れられた戦後じゃないか。全く知らなかった。
メシを食うためには物々交換ででも密貿易をせざるを得ない。
そんな中で一番抜きんでていたのが、このナツコ(金城夏子)と言う女性。
最新の高速船を持って、八重山、石垣、与那国・・・の沖縄の各群島や本土の和歌山、神戸、台湾、香港、フィリピンなど各地を飛び廻り、誰よりも大きな商いをしかける。
会社組織を作ってからの商いでは沖縄で流通する全小麦粉の半分以上を商っていたというから、もう総合商社なみだ。
面倒見が良く、きっぷが良く、先見の明があり、決断が速く、行動力がある。
この時代を生きた沖縄の人でナツコの名前を知らない人は居なかったという。
でありながらもどの文献にも登場しない。
著者の奥野修司と言う人、このナツコを追って取材すること12年。
それだけの歳月をかけてやっと書き上げたのだという。
何が彼をそこまでさせたのだろう。
司馬遼太郎が坂本龍馬を見つけた時のような気持ちだったのだろうか。
司馬遼太郎は誰を題材にしてもストーリーにして創作してしまうので、読み物としてははるかに読みやすい。
奥野と言う人はノンフィクション作家だ。創作は交えない。
この本、時代背景などは各種の文献から拾っているが、ナツコに関する記述は全て探して探してやっと見つけた人たちからの証言によってなりたっている。
だから証言者の順なので、時代が行ったり来たりする。
そこが若干わかりづらかったりもするが、当時の沖縄とその周辺のこと、何より分かりやすく記されているのではないだろうか。
巻末に参考にした文献の一覧があるのだが、半端な量じゃない。
ナツコという人もすごい人だが、追いかけた著者の執念もまた凄まじい。