秘密東野圭吾著
「秘密」、何故数ある東野圭吾の作品の中からこれを取り上げる事にしたのだろうか。
もっと新しいところであれば「トキオ」(講談社)、「幻夜」(集英社)
インパクトの大きかったところで言えば「白夜行」(集英社)、「悪意」(双葉社) あたりであろうか。
東野さんの作品は常に一気に読ませてくれる。
もう寝なければ・・と思いつつもやめるにやめられない。とうとう一気に読んでしまい、夜が白々と明けて来る、というのがいつものパターンである。
東野さんの作品の持ち味はなんと言ってもどんでん返し、そのあまりの妙にいつもあっと言わせられてしまう。
私の読後感では「白夜行」、「幻夜」は非常に良く似ている。
そんな安易な表現を使うと良く読まれるファンの方からお叱りを受けてしまいそうである。
方や少年時代の父親の殺人事件からスタートし、その謎に満ちた成長過程を描く作品と、方や阪神大震災の焼け野原からスタートする両者は設定からして全く異なる。
では、何が似通っていると思わせるか、というとやはり主人公たる女の存在、そしてその影として活躍する事になる影の男なのである。
その影になっている男の思考回路は異なるにしても、主役の女の思考回路は非常に良く似ている。
だからといってこの両作品が嫌いな訳ではない。
どちらかというと「白夜行」の主人公の女に対してはその生い立ちからしてもの悲しさを覚えてしまう。
「悪意」に至るやそのどんでん返しに次ぐどんでん返しは最高傑作と言っても過言では無い。
「トキオ」も読後感は良かった。過去に表れる未来の息子のなんとも言えない肉親としての優しさ。
だがこの作品に関しては読後しばらくした後にドラマ化されたのをたまたま見てしまった。
それでイメージがちとくずれて少々白けてしまった観がある。
「秘密」、実はこれを読んだのはだいぶん以前の事なのだ。
殺人事件や犯罪が発生する訳ではない。
もっとも有り得ない話ではあるはずなのだが、娘として生き返った妻とそれを妻として扱いながらも徐々に出て来るその年齢のギャップ。
妻と夫でありながら、妻の心は娘になって行く間の有り様、そのあたりの描きが見事である事は今更言うまでも無い。
何よりも面白いのは30代も半ばを過ぎた妻が娘の身体を借りて二度目の人生を生きようとしている姿。
人生にやり直しはきかないが、そのやり直しが出来る立場になったのである。
なんせ一度目に経験済みなのであるから、二度目の人生を一度目の繰り返しにしなかったのは、その後の人生に悔い有り、と言う事なのだろうか。
そのやり直しをする事に夫は反発を覚えるのを察し、妻は娘に戻ってしまうのだが、最後の最後にやはり東野氏ならではのどんでん返しが待っている。
この作品、広末涼子主演にて映画化された話を後になって聞いた。
残念ながら映画は観ていないのであるが、そのうち観てみようと思う。
三十路妻の感性と十代の女性をどう使い分けて演じたのか、是非とも観てみたいものである。