カテゴリー: 小川洋子

オウガワヨウコ



ことり


身寄りのない男性の遺体が鳥籠を抱えたままの状態で発見されるところから物語は始まる。
男性は近所の幼稚園の鳥小屋の掃除を永年やっていた人で、人からは「ことりのおじさん」と呼ばれていた。

このおじさんには幼い頃から鳥のさえずりを話し言葉として理解する兄がおり、その兄もある時を境に、人間の言葉を捨て、「ボーボー語」という自らが編み出した言葉でしかしゃべらなくなる。
何を言っているのか誰にも理解出来ないのだが、不思議な事にまだ幼い弟だったおじさんだけにだけは理解できたのだ。

やがて兄弟は成長し、弟であるおじさんは保養施設の管理人の仕事につき、兄は仕事をするでもなく、弟の世話になる。
弟は昼時ですら毎日欠かさず帰宅し、家で待つ兄とサンドウィッチの昼食をとる。

兄は、ひたすら幼稚園の鳥小屋の前で小鳥のさえずりを聞く。
唯一の行動はといえば、昔から行きつけの薬局へ必ず水曜日に行き、棒つきキャンディーを買ってくることぐらいだろうか。

周囲の人から見れば、小鳥と話している、などと理解されるわけもなく、失語症の兄と自閉症気味の弟の二人が世間と隔絶した生活を送っている、としか見えなかっただろう。

超絶してしまった人間というものは強い。
人の目を気にすることも無い。
誇り高く気高いほどに小鳥を理解し小鳥を愛している。

弟はというと人と話せてしまうので、兄よりは不利ではあるが、それでも小鳥に対する愛情は人並み外れている。

生涯独身のまま小鳥だけを愛したこの兄弟。

行動半径もまるで鳥籠の中の小鳥のように狭く、日々の行動もほとんど変わりがない。

兄の亡くなった後の幼稚園の鳥小屋は弟が引き継ぎ、その掃除を園長に任され、おじさんは無償奉仕で引き受ける。

孤独でせつない人の話と思えることだろう。

ところが、それを決して可哀そうな人たちとして描かないのが小川洋子さんの持つ独特の世界。

小鳥と共に幸福感で一杯の人生を送った二人。

他人の目というものは誠にあてにならないものなのだ。

ことり 小川洋子著



密やかな結晶


ものすごく怖いお話なのに、小川洋子さんはたんたんと書き進めて行き「怖い」という雰囲気を払拭してしまう。

舞台となる島では、これまで日常普通にあった物が「消滅」してしまう。
消滅が有った朝、川にはその「物」が投げ捨てられ、「物」そのものが無くなるだけで無く、人の記憶からも消滅してしまう。
そしてそれら消滅させた物隠し持っている人間を秘密警察は捕まえ、物を持っているだけでなく、記憶を持っている人たちまでも秘密警察は捕えようとする。

「消滅」はこの島の統治者側の決定事項らしいのだが、最初のうちは生活に身近なもの、特に何ら目立つようなものでもない生活品がその対象となる。リボンが消滅し、鈴が消滅し、エメラスドが、切手が、香水が消滅する。
そうした人間が作った物ばかりか、ある朝は鳥が消滅し、バラの花が消滅する。
その消滅する物で商売してした人なども当然いるわけなのに、そうした人たちは当たり前のように違う仕事にありついて、それを当り前のように過ごしている。

統治者側がそれらを消滅させることでどんなメリットがあるのかさっぱりわからないのだが、消滅指示は次から次へと続いて行く。

消滅があってもその記憶が鮮明に残っている人と消滅を受け入れてその物があったことすら思い出せなくなる大半の人。

ある朝は写真が消滅の対象にされてしまう。
写真には数々の思い出が詰まっているだろうに、消滅を受け入れてしまう人にはもはやその写真の思い出などにも何の感慨も覚えなくなってしまう。

主人公の女性は小説家なのに、ある日小説も消滅してしまう。
島の至る所で本が焼かれ、島の至るところで焚き火のあかりは夜を通り越して朝まで続く。

この消滅という事柄はどう受け止めればいいのだろう。
人には自分にとって都合の悪いことは無かったことにして記憶からも消し去ることが出来たりする。
その極限の世界なのだろうか。

文庫の解説は井坂洋子さんが書いておられた。
本が焼かれる焚書、秘密警察から逃れようと隠れ家に住む人たちを捜し連行する姿をナチのユダヤ人狩りになぞらえ、隠れ家に住む人たちをアンネフランクのような人たちになぞらえる。

なるほど、そういう読み方もあったのか。

自分はこの不思議な、そして非現実と思われる世界は実は実世界のある局面の誇張なのではないだろうか、などと思いつつ読み進めていた。

そして自分の失った物と失った記憶とはなんだろう、と思いを馳せたのだった。

密やかな結晶 小川 洋子 著   講談社文庫



人質の朗読会


地球の裏側の某国の山岳地帯の村で、日本人観光客ら八人が反政府ゲリラに襲撃され、そのまま人質として拉致されてしまう。

何ヶ月間かの膠着状態の後、裏取引ではなく軍と警察が強行突入。
犯人グループは全員射殺されるが、人質の人たちも爆破によって全員死亡してしまう。

そんな悲惨な事件を扱った物語だったのか。
小川洋子さんらしからぬ出だしに少々驚くが、その犯人アジトを盗聴していたテープが見つかり、そのテープの中に八人の人のそれぞれの朗読が残されていた。

この本は、日々銃を突きつけられたであろう人質という状態にあった人たちがそれぞれ身を寄せ合いながら、一人一人が自分の思い出を朗読するという八編の小編の集まりだった。
正確には現地の兵士の思い出もあるので九編ということになるが。

それぞれはなんでもない話ばかりのようにも思えるが、その人個人にとっては忘れられない話ばかりなのだろう。

近所の鉄工所が実は物を作る場所ではなく物を破壊する場所だとばかり思い込んでいる少女とその鉄工所の工員さんとのやりとり。

到底売れないだろうと思われるぬいぐるみを露天で売っているおじいさんとのやりとり。
ビスケット工場に勤める女性の朗読は、アルファベットの文字のビスケットを作る工場で働いている女性が欠品になったものを持ち帰り、お金に執着し、整理整頓を生きがいとする大家さんとseiriseiTonなどと机に並べては最後に食べる、大家さんとのやりとり。

母親の留守中に台所を貸して欲しいという隣の娘さんがその母親のために作るコンソメスープのお話。

紳士服店でアルバイトしていた人がなぜかその人だけに親切にしてくれるお得意さまがいて、アルバイトを辞める時に周囲の誰からも惜しがられたりしなかったのに、そのお得意様はわざわざ花束を持って来てくれる話。

なんだろう。
一編一編はそれぞれはなんでも無い話のようで、何故だか心に残るものがある。

死というものを目のまえにした人たちがそれぞれこれまでの人生の中での一番の思い出を語る。
だからこそ心に響くのだろうか。

もちろん、ドキュメンタリーなどではなく小説なのではあるが・・。

槍投げの青年の話などは、単に槍投げの選手が槍投げをしていた、というだけの話なのだが、その一挙手一投足に感動してしまう。
その一挙手一投足を観察することがその人の人生を変えたのだ。

人質の人たちは40代、50代の人を中心に60代や30代の人も20代の人もいる。
それまでの40年間、50年間の人生の中で、その瞬間が人生を変えるに等しい瞬間だった、そんな一コマを一人一人が語っている。

もちろん実話ならこの短編のように一編一編は綺麗にまとまった話では無かっただろう。中にはしどろもどろになりながら、中には途中で話が行きつ戻りつしながら、もっと時間をかけた長い長い話になっていたのかもしれない。

それでも、日本語のわからない盗聴していた兵士の心にもその朗読は響いてしまう。
その上官はその朗読を「深遠な物語」だと兵士に語る。

小川洋子さんはなんという物語を描いてしまうのだろう。
このそれぞれの小編の中のそれぞれの何十年間の人の人生を凝縮してしまうなんて。

こうして読み終えてあらためて自分を振り返ってみてしまう。
果たして、そんなところで語れる人生を凝縮した話など出来るだろうか。

自分にとってのそんな瞬間とはどの瞬間だったのだろうか。
そんな風に自分を考えさせてくれる本なのでした。

人質の朗読会 小川 洋子著 中央公論新社