図書館戦争有川浩著
しばらく前まで、図書館のア行の有川浩の棚には図書館戦争とその続きがずらりと数冊並んでいた。映画化が決まったり、テレビで放映された途端、棚から本は消え、予約も数週間待ちに。
映画・テレビの影響が本の業界に及ぼす営業をつぶさに見せられた格好だ。
人類の歴史の中で「焚書」という行為は行くたびも行くたびも行われている。
日本ならば、最も近いところではGHQによる、本の検閲。黒塗り。これは焚書とは言われないが事実上の焚書だろう。
ナチスドイツによる焚書。スターリンや毛沢東と言った共産党独裁国家の中での焚書。
中国の古代史の中では、秦の始皇帝があまりにも有名だが、他にも統治者が変わる都度の焚書というのはいくらでも繰り返されている。
この図書館戦争、昭和が終わって新たな年号になるというだけで、日本が戦争に負けたのでも無ければ、統治機構が変わったわけでもないのに、いきなり成立してそまった「メディア良化法」なる法律。
それを遂行すべく特務機関なる組織が出来、彼らの行うことはまさしく現代の焚書。
抵抗しようものなら力づくにても奪って破棄。
この焚書に唯一立ち迎えるのが図書館。
ここら辺の理由が良く分からないのだが、図書館法という法律で守られ、「図書館の自由に関する宣言」などを謳いあげる。
焚書にしては一貫していない、というか、図書館だけは別みたいな取り決めにしつつも武力衝突は黙認する、という極めて国の統治の上では危ない施策ではないのだろうか。
もし反政府勢力が出来るなら、当然図書館という安全地帯を根城にするだろうし、図書館へは市民の出入りは自由なのだから、そこを通しての勢力拡大も容易だろう。
そのあたりの、何故、現代の日本でいきなり・・。と言う疑問は残りつつも結構楽しめる本なのだ。
テレビの報道にては、足の不自由な人、目の不自由な人、耳の不自由な人・・・それぞれに該当する日本語が、その使われ方如何に関わらず、使われなくなってしまっている。
というよりも、絶対に使ってはいけない言葉になってしまっている。
そんな言葉が実はいくつも存在するのだが、これって「メディア良化法」みたいなものによる検閲と一緒じゃないのか。
それが行きついた先にはこんな世界が・・・というあたりが何故現代の日本でいきなり・・・の理由だろうか。
それにしても主人公の笠原郁と言う女性とその教官とのやり取り、面白すぎるだろ。