宣戦布告麻生幾著
まさしく衝撃そのものである。
たった11人。
たったの11人の北鮮の武装集団がやって来ただけで、この国は滅びかねない。
福井県敦賀半島に国籍不明の潜水艦が座礁。
通報を受けた後、またまた自衛隊の不祥事か、自衛隊ではないとわかった後にもじゃ、米軍か?それともロシア?と騒ぐばかりで警察はなかなか潜水艦に近づけない。
その後、潜水艦は北鮮のもので福井の敦賀原発をターゲットに11名の武装集団がやって来たことが判明。
この武装集団こそ北鮮の特殊部隊で1年間穴の中で生活することも平気な連中で、しかも装甲車も木っ端微塵にできるロケット砲まで持っているという。
この北鮮の小部隊、原発をどうしようとしたのか、今一目的がはっきりしないが、まっしぐらに原発目指していれば、いとも容易く突入出来ただろう。
なんといっても原発を守衛しているのは民間の警備会社だ。
銃器など一切持たない丸腰なのだから。
付近の住民避難と半島入り口警察、機動隊で一杯になるが、さぁ誰が、どうやって突入するのか。
装甲車を吹っ飛ばす火力を持った相手に機動隊では太刀打ち出来ない。
SATの部隊を接近させるが、なんと射殺命令が直前で取り消される。
もちろん自衛隊の出動は想定される。
最高指揮官としての官邸はどう、動くのか。
物語の中で、首相がまず気にしたのは、民主、社民という野党の連中に対する言い訳と朝日新聞の社説はどう書くだろうか、ということだった。
国民の生命と安全を最優先に考えるべき立場の人達がまずそれよりもプライオリティーの高いものを別に持っている。
高級官僚にしてももし何か起きた際に自分に責任が及ばないこと、それが最もプライオリティーの高いことだった。
それよりも国家機密をじゃんじゃん漏洩してしまっている防衛庁の高級官僚までいる。
だが、いざ、自衛隊が動くという行為にはこの国はあまりにもハードルが高い。
部隊が展開するのに必要な公共施設を収容したり借り受けたりする権限がない。
道路や橋が破壊されて自衛隊が通行できない時、現行法では自衛隊が勝手に修繕することもできない。
敵の前線にあっても防御するための穴一つ掘れない。
指揮所を一つ作るのにも建築基準法に阻まれる。
道路交通法、河川法、森林法、自然公園法・・・無線使用にあたっては電波法、とありとあらゆる法律にがんじがらめになってまったく身動きできない。
それよりなにより、敵を攻撃出来する、つまり武器を使用できるのか、という肝心かなめの問題。
国家機密という意味ではこの本そのものが本来の国家機密かもしれない。
一般に言う有事立方。「武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律」という長ったらしい名前の法案はこの麻生氏の本が世に出た後しばらくしてから小泉内閣のもと、与野党一致で可決された。
その法制化によって上の各種の問題がどこまでクリアになったのかは知らないが、その後にイラクへ派兵された自衛隊は発砲されるまで、武器の使用、発砲は出来ないという悲壮なもので他国の軍隊に守っての救援活動という、ことでこの特殊な軍隊、自衛隊の異様さは世界に知られることとなった。
この話の中では首相自らが、この国家予算を何兆もつぎ込んだ自国の自衛隊のことを「まるでガラスの兵隊だ」とつぶやき、嘆く。
「この国はもはやまともな国家とは呼べない」とまで言わせる。
この麻生幾という人、どういう人なんだろう。まりにその道の専門用語に長けすぎている。
警察の専門用語などはドラマなんかでも出て来るからまだわかるが、自衛隊の専門用語となるとそうはいかないだろう。
なんと綿密な取材なのだろう。
いろいろと勉強になることも満載である。
警視庁と警察庁の違いぐらいは大方の人はご存知だろうが、各都道府県の警察は警察庁の組織下にないとは知らなかった。
県警は県警本部長の指示系統にはあっても警察庁の指示系統にはないのだそうだ。
とはいえ県警本部長は警察庁のエリート候補が廻ってくるのだから、指示系統というだけで実質は警察庁配下だろう。
現にこの福井県の本部長はお上からの命令で発砲許可を取り下げた。
村上龍氏の「半島を出よ」も同様に少人数の北鮮部隊が上陸して来ると、設定は似ているが、あちらの方が北鮮の狙いもはっきりしているし、パニックになっている日本の姿だけではなく物語が進展していく。また近未来の日本の光景も描く。やはり小説なのだ。
麻生氏という人、もともとはノンフィクションライターだったとか。
この本では北鮮の狙いは一体なんだっただろうか。
そんなところをぼかすことで現時点での各種の問題点を浮き彫りにすることが狙いだったのだろうか。
とにかく、こんなパニックになるのだよ、ということだけはいやでも伝わってくる。
この本の巻末にお決まりの
「この作品はフィクションです。実在の人物、団体、国家とは一切関係がありません」
の一文があるが、そうじゃないだろう。
この「宣戦布告」という本。フィクションではない。ノンフィクションなのではないか。
シュミレーションの元に書かれたノンフィクションそのもの。作者もそのつもりで書いたのではないだろうか。