蛍坂
著作200冊目の記念作品、と帯にあった。
実は、この吉村達也という作家の小説、これまで200冊も出しておられるというのに、どうも読んだ覚えがないのである。
巻末に過去200冊のタイトルと出版社が一覧にされているが、角川ホラー文庫、トクマ・ノベルズなんていう出版社からのもの多かったかな。
出張の片道で読みおおせてしまう類の本なら、タイトルも著者も覚えていないことが多々あるが、この作者もそういう範疇の作品を書いていた人なのだろうか。
この小説、少々荒唐無稽ではあるが、そういうものの中で何かが発見出来ればラッキーだと思えば良い。
主人公の上原仁美は、22歳の誕生日直前に恋人から別れを宣告され、そのあまりに理不尽な理由に自室で手首を切って自殺を図る。
それを知り、真っ先に娘のもとへ駆けつけようとする父。
その父の車が交差点でスリップし、保育園児の一団に突っ込んでしまう。
父は「危険運転致死罪」が適用され懲役18年。さらに判決の四日後ストレスによる心臓発作で死亡。
それを知った母は精神的に立ち直れない状態に・・・。
と、悪夢のようなことの連続。
自分のしでかしたことが原因で両親をこんな目に、更に何の罪もない幼児を何人も死なせてしまった、という罪の意識は拭っても拭っても拭いきれるものではないだろう。
そんな孫娘を見かねた祖母が教えてくれたのが「蛍坂」という場所。
そこで仁美が見たものとは何か。
この本の後半は人のデジカメシャッターを切るとその持ち主の不幸な未来が一瞬画面に見えてしまう、という特殊な能力についての話になっていくわけだが、・・。
面白い言葉が出て来る。
現代人は西暦二千何年、21世紀、を生きるということを当たり前のように言うが、まるで文明の歴史がたった2000年しかたっていないみたいじゃないか。
エジプトで国家が統一された紀元前3500年を暦の1年と仮定したら、現在は5500年。
かつて栄華を誇った東ローマ帝国が使用していたビザンティン暦に基づけば、西暦2010年は7510年に相当する。
紀元前というとまるで未開の年代みたいだが、当時の方が科学ははるかに進歩していた、と持論は続く。
現代の科学者は「科学的でないから存在しない」と決めつけるが、当時の科学者たちはそうした自分達の常識にないものも認めた来たからに他ならないと。・・・
この持論の展開がオカルト的なものへの許容へという流れなので、以下は端折るが、
ビザンティン暦7510年。これ確かに2010年と言われるよりずっしりと重いものがある。
この本の収穫はこのあたりだろうか。