村上海賊の娘和田竜著
この本、2014年の本屋大賞。
全国の本屋さん達が一番売りたいと思った本。
本の目利きが最もおすすめする本なのだ。
こういう時代ものって一般受けするのかなぁ、と思いつつ読み進めていくうち、途中からもう面白さ爆発。
下巻になるともう止められない。一気読みしてしまった。
結構ハチャメチャに書いているようで、実はかなり歴史に忠実に書かれていることがうかがえる。
本文の中にも「信長公記」の中では、とか「石山軍記」の中では・・ルイスフロイスはその著書の中で・・・とか、至る所に引用文献が記載されているが、巻末の主要参考文献を見ると、その文献を羅列するだけでなんと4ページも。
この作者、この本の一つ一つの描写の裏付けにかなりの歳月をかけたのではないかと、思わせられた。
方や史実に忠実でありながら、その史実に無い行間を思う存分、好き勝手に書いちゃった感が満載。
織田信長が大坂の石山本願寺を攻める際に、攻めあぐねて兵糧攻めにしようとする。
石山本願寺は毛利家へ海路での兵糧補給を依頼する。
単に兵糧を運ぶだけなら毛利家だけでも充分なのだが、兵糧を運ぶにはそれを守る部隊が必要となる。
そこで登場するのが村上海賊。
村上海賊は来島村上と因島村上、能島村上の三家からなるが、最も力があるのが村上武吉が率いる能島村上で、ここだけは他家と違ってどの大名傘下にも属さない。
その村上武吉の娘が主人公の景(きょう)。
この主人公の活躍が最も史実から遠く、作者が好き勝手に書いちゃった感が最も出ているのがそこ。
毛利の助っ人が村上海賊なら、織田方の助っ人は泉州の地侍達で、中でも突出しているのが眞鍋七五三兵衛率いる眞鍋海賊。
この泉州侍たちの書かれ方がまたすさまじい。
この本では「俳味」という言葉で何度も書かれているが、要は「洒落っけ」を何より重視する。自らの命よりも俳味に重きをおく。
全国区ではちょっと受け入れられるのか、ちょっと心配になるのが、すさまじいまでに登場する泉州弁。
この本の泉州弁は今の和歌山弁に近いように思える。
目上への敬語が無いのは今でも紀州の特徴だ。
泉州侍達は元より織田の家臣では無いし、戦況次第ではどちらにでもすぐに寝返るのが泉州の特徴の様に書かれているが、この時代、そんなのは泉州に限らずどこでも当たり前かもしれない。
毛利側が兵糧船と戦船合わせて千艘。傍から見れば、千艘の大軍団だ。
でも実際に戦えるのは300ばかり。
方や泉州側も海賊150と陸の泉州侍が載る船が150。
村上海賊の娘が泉州の怪物、眞鍋七五三(しめの)に対して掛け合いに行く(もう戦うのんやめとこや、と交渉に行く)シーンがあるのだが、そこで物語上では七五三はまんまと千艘まるごと戦船と信じさせられるのだが、そこで七五三が出した答は、「そんなん面白ないわ」の一言。
仮に99%負けるのがわかっていても面白いか面白ないかが判断基準となる。
方や自家存続のためなら何でもするはずが、大将のたった「面白ない」だけのことでどれだけの命が失われる事か。自家はもとより味方の軍勢の命。もちろん敵の命も。
ここらあたりも史実の行間というやつなのかもしれない。
おかげで話は俄然面白くなってしまった。
本屋さんがおすすめするのむ無理無いな。これは。