同志少女よ、敵を撃て


この本が本屋大賞を受賞してその受賞インタビューに応じる時のこの作者の居心地の悪そうな姿、未だに印象に残っている。
なんせ、受賞が決まった途端に、ロシアのウクライナ侵攻が始まってしまったのだ。

この本、ナチスドイツがソ連へ侵攻するさなかのロシア(当時のソ連)側の女性スナイパーを描いた作品。
まさにロシアーウクライナの真逆なのだ。

ソ連の地方の村に平和に暮らす村人たち。そこで母親と漁師をして暮らす主人公セラフィマ。
モスクワの大学への進学も決まり、前途洋々だったはず。
そこへたまたま通りがかったドイツ兵に村人は惨殺され、母親も撃たれて死んでしまう。
これもウクライナ、キーウ近郊のブチャなどで民間人が虐殺されたことと被ってしまう。
ソ連の小隊が来て、彼女は助かるのだが、ウクライナとの違いは、ソ連の部隊は一度ドイツ軍の入って来た村は完全に焼き尽くしてしまう、というところか。
下手に残しておくと、敵の補給基地に使われてしまうかもしれない。

そうして主人公セラフィマはふるさとも、家族も、知り合いも全てを失ってしまう。
その彼女を狙撃兵の訓練施設に連れて行ったのは彼女の村を焼き払った隊の女性隊長。
その施設での訓練は一般の軍隊の訓練とは全く異なる。
物理の勉強やら机上の勉強にかなりの時間を割くもの。
スナイパーというのは物理の法則にも精通していなくてはならないらしい。

戦況はドイツ軍の侵攻に対し、徐々にソ連が押し返して行く。
これもウクライナ同様で、侵攻する側より、侵攻された側の方がはるかに高い士気を維持し続けられるということなのだろう。

また、今のロシアがというよりもプーチンがウクライナを「ナチ」とさかんに呼ぶのも、この第二次大戦の時のにっくきナチスドイツと相手を重ねる事で国民を鼓舞する狙いがあるのだろうが、それが成功しているのかどうかは不明だ。

実戦を重ねる毎にこの主人公セラフィマも敵兵を何人殺した、と言う事を自慢しだすようになっていくのをこの作者は衛生兵の言葉を借りて戒めているように思う。

ウクライナの戦い、いつまで続くのか、未だ終わりが見えないが、兵器は違えど、行われている事はこの70年も前の戦争と同じ事が行われていることになんとも虚しさを覚える。あの大戦から人類は何を学んだろうと。

いずれにせよ、一刻も早くウクライナに平穏な日々が訪れる事を祈るばかりだ。

同志少女よ、敵を撃て 逢坂冬馬著