相対性理論を楽しむ本


20世紀の偉大な天才、アインシュタインの「相対性理論」と言えば知らない人は稀でしょう。
その「相対性理論」とはどんな理論なのか。
その言わんとする事をご存知の方は結構いらっしゃる様です。
ちょっと周囲にヒアリングした結果がそうでしたので少々驚きでした。

しかしながら、それはどうしてそうなるの?と聞かれて答えられる人となるとその数はぐっと減る。
ましてや数式を持ち出すまでも無く容易な言葉で説明出来る人となると、これは滅多にお目にかかれない。

高速移動の乗り物、例えばロケットなどに乗っている人と下界に居る人(静止している人)とでは時間の進み方に差が出てしまい、ロケットで長時間生活をして地球に帰って来ると、自分では1年のはずが地球では何年も経過していた、なんてまるで「猿の惑星」の世界の様な理論。
実際に「猿の惑星」の原作を書いたは「相対性理論」を参考にしたのかもしれません。

別にロケットを持ち出さなくても電車でも船でも説明がつくんですよね。
動いている船のマストの上から真下に物体を落とした時に1.5秒かかったとします。
地上で同じ高さから同じ重さの物体を真下に落とした時も同じく1.5秒。
しかしながら地上から船の上の物体の動きだけをとらえてみると、船が1.5秒間に進んだ距離だけ斜め前に落ちている。つまり真下の距離よりも長い距離を落ちているにも関らず、かかった時間は同じ1.5秒。
となると移動している乗り物の中に居た方がほんの少しだけ地上よりも(静止している人よりも)時間のたつのが遅い、という事になる。
って言葉で書くよりも図解した方がわかりやすいんでしょうけれど、ここでは敢えて相対性理論についての説明を書こうなどとは思っておりません。

この本は、そういうふうにわかり易く「相対性理論」を説明しています、という事が言いたいだけなので。

それでも頭で理解してもなかなか現実的には考えられませんよね。
実際に電車に乗って駅へ着いたら駅の時計より時間の進みが遅くなっていて、喫茶店へ行ってたっぷりとコーヒーが飲む時間が出来たなんて事はありませんし、電車の運転士は年をとるのが遅くて定年の頃には妻どころか子供も孫も老人だったなんて聞いたことないし。

私共のような俗物にはどうしてもSFっぽく聞こえてしまいます。

SFついでなので、この時間の早い、遅いって考え、タイムマシンに利用出来ないのか、ってこの単純思考はついついそっちへ頭が行ってしまうのですが、科学的には不可能だそうです。

もちろんこの本にそんな事は書いていませんが、こんな事は考えられませんか?
20光年先の星を見る、という事は30万キロメートル/秒の光でさえ20年かかって到達するほどの距離。
光が20年かけて到達したのですから当然、その星をいくら観察しても20年前なわけですよね。という事は20年前を見ている。
10光年先の星まで辿り着いて、そこに地球が写る巨大な鏡を設置したとします。
その鏡に映った地球の中は20年前の過去ですよね。
100光年先の星に設置すれば、200年前の過去が見られる・・・・・・んん、んな事出来るわけがない、というより出来た頃にはそんな過去でさえはるか未来だ。光でさえ、10年、100年かかる距離を人類が到達するのに何千年、何万年かかることか。

ならば、これは?
テレポーションという超能力を発揮出来る人間が居たとして、100光年先の星にテレポーションしたら?100年前の地球を観測出来のでは?
でもそれだけではタイムマシンになりません。その100年前の地球にテレポーションして初めてタイムトラベルした事になりますが、これだけの超能力者でもやっぱり無理なんでしょうね。
地球から見たら100年前ですが、瞬間移動したならそこは地球から見た時の100光年後の星にテレポートしたという事になる。100年前のその星にテレポートしたわけじゃない。
100年先にはその星だって消滅しているかもしれないし。で消滅していないとしてそこから見える地球はやはり100年前の地球だが、やっぱりそこから地球に瞬間移動したって現在の地球でしかないって事か。

じゃぁ、どうすればいいんだー!
相対性理論を用いれば光の速度に近づけば近づくほどに時間差は生まれる。
じゃぁ過去へ行くには光の速度を超えて移動しなければならないのか・・ははっ・・やっぱり霊界の世界だ。
ってな事はこの本に一行たりとも書いていませんけどね。

いや逆の事は書いてあったっけ。
「光の速さは最大でこれ以上速い物はない。そもそも質量を持った物体は速くなると質量が増すので動きにくくなる。だから光より速く加速させることはできない」だったけか。
時空を超えるとかって聞けば、ちょっとそういう事も考えたくなるじゃないですか。
まぁ凡俗の考える事です。
せいぜい愛想をつかしながら読んで下さい。

アインシュタインは大学を出た後、大学の教員になろうとしたが受け入れてもらえず、やむを得ず特許庁だったかのお役所勤めをしたのだそうです。
そのお役所勤めのヒマな時間を見つけては物理学の本を読むふけり、就職してわずか3年やそこらで相対性理論を発表したと言います。1905年。今から100年と少し前の事。

社保庁のお役人がなんか理論を発表したとは聞きませんね。 んん? いや今でこそ叩かれているが発表しなかっただけでちゃんと理論を生み出してはいたのか。 「先延ばし理論」。 立派に時空を超えた理論だ。
いえ、蛇足でした。

まだ質量の事にふれていませんでしたね。
アインシュタインは質量が減少する事で莫大なエネルギーが生じることも相対性理論の中で述べています。
その原理が元で原子爆弾が出来てしまうよりもはるかにましなのは、ダイエットだ!ダイエットって叫んでいる全世界のオバさん達、いや今現在の日本のオバさん達、んん?それじゃ男女差別と言われてしまう。日本のオジさんオバさん達だけで充分、その質量をその人達の願い通りに減らしてあげてその質量をエネルギーに変換する事が出来れば・・・、今から100年以内に枯渇するだろうと言われている石油エネルギーどころの騒ぎじゃない。1000年分ぐらいのエネルギーがあっと言う間に確保出来るんじゃないの。
いいなぁ、そうなったら、今大騒ぎのガソリン国会どころじゃない。
中年ダイエット質量確保合戦。

なーんてね。せっかくわかりやすい科学本の事を書きながら、なんて非科学的な事ばかり書いているんでしょうね。読んでいる人、呆れて下さい。

この本、相対性理論を確かに楽しめる本なのですが、後半になればなるほど、どんどんと内容は難しくなって行きます。
特殊相対性理論から一般相対性理論に突入するあたりから、著者もわかっているのでしょう。
無理に理解してもらう事よりもそういう理論なのですよ、ということだけ理解してもらえたら充分という書き方になっていきます。
後半の後半は宇宙の創世から今後宇宙はどうなるのか、膨張するのかどうか、なんてもはやSFを通り越してファンタジーも超越した世界。

何十億年何百億年後の宇宙をの世界をどうやって実証するのか、理論的にはこうなる、と言われたって、その頃まで生きている人なんていませんから誰も証明出来ない話。
何十億年何百億年前の宇宙にしたってこれで証明が成り立つと理論的に言われたところで、ビッグバンがあったのかどうか、そのまたビッグバンの前がどうだったなんていう話は監修の佐藤勝彦教授の持論なのかもしれませんが、それが真実とは誰も言い切れない世界。もちろん誰も見て来たわけではありませんし。

ただ、こういう宇宙の創生やら宇宙の果てには・・なんていうとてつもない世界。
哲学、いやもっと言えば宗教に近い世界になるのかもしれませんが、そこへまで物理学や科学というものでシュミレーションを行なってしまう、というそのスケールの大きさにはただただ驚嘆するしかないのであります。

すごいことですよね。目先の事にはなんら影響しない、自分を含めて誰が得をするわけでもないことを延々と研究する。証明しようとする。
そうやって研究した結果、もしくは理論を証明しようとした結果に思わぬ副産物として新たな発明や新たな発見が生まれる。
そういう人達がかつて存在し現在も存在するからこそ人類は進歩し、また今後も進歩するのでしょうね。
もちろん別の見方もあるでしょうが・・。