ザリガニの鳴くところディーリア・オーエンズ


世界中で湿地の消滅が続いているのだという。
1900年以降、世界の湿地の64%が失われたといくつかの科学的推計にはあるらしい。
今や毎年となった100年に一度の世界の異常気象、原因のことごとくをCO2が引き受けているかの如くの昨今の報じられ方だが、スポンジのように余分な水を吸収してくれる湿地は、洪水を防ぐ自然の防波堤の役割も果たしている。洪水のコントロールや炭素の蓄積などを担っている。
湿地の減少もまた異常気象の原因足りうるのだ。(ラムサール条約解説文よりの引用)
アメリカでも湿地の減少はすさまじく、この物語がの舞台となる1950年代~1960年代、70年代が湿地の減少が始まった初期のピークだろう。
湿地はさまざまな生命を育む地球上で最も重要な生態系でありながら、昔から人々には嫌われる。

ジメジメして鬱蒼と草が茂り近寄り難い湿地。
あまり人が住むには適さない場所と思われる湿地。

そんな湿地で育った少女の話。

酒浸りの父親の暴力が原因で6歳の時に母が出て行き、4人いた兄、姉全員出て行く。
最後にはその原因を作った父親も出て行き、幼な子がたった一人で湿地で生きて行く。

朝一番で沼地でムール貝や牡蠣を取り、麻袋に一杯にしてそれを近隣の店に引き取ってもらい、生計を立てる。

カイヤと呼ばれるその少女、街の人たちは彼女の事を「沼地の少女」と呼び、薄気味悪い存在と位置付ける。

10歳になっても文字すら読めない彼女に文字の読み書きを教える男の子が現れ、その子のお下がりの教科書で独学し、しまいには十代で沼地の論文まで書けるほどになる。
食べるものもまともな衣服もお金も何もない中で、自給自足の日々の暮らしだけでも大変なのに。
そんな彼女に読者は釘付けになるだろう。

1950年代~1960年代ってさほど昔でもないのに、アメリカではまだこんなにどうどうと黒人差別があったんだ、とあたらめて思い知る。
レストランの「黒人入店お断り」の看板。
白人の子供が黒人の大人に黒人に向ける侮蔑的な言葉。
カイヤは白人の子供だが、沼地の不気味な少女としてこちらも大人があからさまな差別をする。

後に、カイヤはある殺人事件の被告人席に座らされることになるのだが、まず、事故か、殺人かの明確な証拠もない。
彼女が犯行に及んだ証拠と呼べるものが何もない。
彼女には遠距離に行ったアリバイがあったにもかかわらず、その遠距離から深夜のバスに乗れば犯行は可能だった、などと到底起訴されるに至るはずのない状態にもかかわらず、殺人犯として裁かれようとしている。
アメリカの陪審員制度というのは考えてみたら、怖い。
こういう田舎の小さな街での陪審員とは街の人たち、全員、沼地の少女を知っている。
証拠がどうだろうが、心象だけで無罪の人を有罪にすることが出来てしまうのだ。

この本、全米700万部突破、世界で1100万部、日本では本屋大賞翻訳部門1位と大ヒット作。

2019年、2020年にこの本がアメリカでバカ売れしたのもトランプ政権下で、白人警官による黒人への暴行死事件など、これまで表に出ていなかった人種問題が再度浮き彫りになった事も背景にはあるのではないだろうか。

ザリガニの鳴くところ  ディーリア・オーエンズ著