抱く女桐野夏生著
桐野夏生って女性だったんだ。
これまで何冊か読んで来て、女性の心理描写に長けた人だとは思いつつも、ナツオと言う名前から勝手に男性だと思い込んでしまっていた。
女性でしかも団塊の世代。
と、なればこの物語の主人公の思いは作者の思いとかなりの部分で被るのだろうか。
この話の時代、高度成長真っ盛りだわ。東京オリンピック後の大阪万博があったり、未来というものに夢を持てる時代だと、皆が哀愁を込めて懐かしい時代、いい時代だったなぁ、ともてはやされる時代じゃなかったか。
それがどうだろう。
この話の登場人物たちの荒んだ生活は。
大学生達は、大学へ行くわけでもなく、雀荘で高レートでの麻雀三昧。
時、あたかも連合赤軍の集団リンチ事件やあさま山荘事件などが起こり、学生運動ももう終焉を迎えようとしている中、革マル派だの中核派だのと同じ学生運動をしていたもの同士が争い、殺し合う。
彼らの敵は権力でも無ければ政府でも無い。
主人公の女性そのものもろくでもない生活を送る一人には違いないが、それにしてもこの話に登場する男たちの女性に対する蔑みはどうなんだ。
これは筆者自身の体験なのだろうか。
主人公の女性は、男たちから公衆便所とあだ名されていることを知り、彼らから遠ざかって行く。
「永遠の青春小説」だとかという謳い文句の本なのだが、こういうのを青春小説というのだろうか。なんともじめじめと暗い。
主人公も周辺の男たちも、ろくなやつが居ない。
別に時代のせいでもないのだろうし、この本が時代を表すとも思ってはいないが、もし、ここに書かれていることがこの時代を著している、というのなら・・・
明るい未来が待っているわけでも無く、高度成長も無いが、平成の世の方がよっぽどいい。