海の見える理髪店荻原浩著
読み終えて、思わず散髪屋に行きたくなってしまった。
この本では床屋と呼んでいる散髪屋というところ、なかなか贅沢な場所だったんだ、とあらためて思った。
ひげをあたってもらう。
髪を洗ってもらう。
散髪屋へ行けば当たり前のことだと思っていたが、なんて贅沢だったんだ。
この本の主人公氏は普段は美容院へ行っているらしい。
美容院では髭をあたったり、髪を洗ったり、肩をポンポンポンと叩いてくれたりしないのだろうか。
この散髪屋のオヤジも話がまた、戦前から始まって、戦中、戦後と床屋としての自分がどう歩んできたかを語って行く。
こういう話を毎回聞かされんだったら、この散髪屋はちょっと辛いかも・・。
と思いつつ読みすすめると、別に誰にでもこんな話をするわけではないらしい。
やけに長い話のようでありながら、語り終えて時計を見ると、椅子に坐ってからちょうど1時間。
散髪も洗髪も髭剃りもマッサージも全部終わっている。
さすが、職人。
他にいくつかの短編が収録されている。
短編同士にほとんど類似性はない。唯一あるとすればどこかで家族が登場するということぐらいか。
「いつか来た道」
見栄っ張りで自己主張の強い母親に久々に会ってみると、認知症の気が・・。
「遠くから来た手紙」
一旦結婚して家をでた女性というもの、いつでも気軽に実家に帰ってこれるものだと思っていたが、弟が結婚しその夫婦が実家で親と同居ともなると、一日二日の帰省はまだしも、少し永くなると居場所がなくなる。とまぁ本編の狙いとは別だが、その当たり前といや当たり前のことを気づかせてくれた。
「空は今日もスカイ」
英語を習いたての女の子が、なんでも言葉を英単語にしていく。
シーシーシー彼女が海を見る。
「時のない時計」
これも理髪店にような職人技師の話かと思ったがちょっと違った。
「成人式」
娘を亡くした父母が、娘の代わりに若作りをして成人式会場へ。
なんだかんだと言って断トツに「海の見える理髪店」が良かった。
さぁ、至福の時間を過ごしに、散髪屋へ行って来ようか。