カテゴリー: 乙一

オツイチ



暗いところで待ち合わせ


駅のホームから人が突き落とされ死亡。
そのホームから逃げて行く男が目撃される。

その駅のすぐ近所に目の不自由な若い女性が一人暮らし。

そこへ殺人犯かもしれない男が扉の開いた瞬間に転がり込んでくる。
男は部屋の片隅でじっと動かず、身をひそめる。
彼女は誰かの存在に気が付いてしまってはいるが、気が付かないフリをしている。

そりゃ、人が居るかどうかぐらい嗅覚に頼るまでも無く、温度変化に頼るまでも無く、
息づかいの音に頼るまでも無く、気配というものでわかるだろう。
物語の中では途中まで気が付かないことになっているが・・・。

気配どころか、自分に危害を加える人なのかどうなのか、も瞬時にわかってしまうのではないだろうか。

だんだんと彼女にとってこの無言の同居人は無くてはならない存在になって行く。

この話でも登場するのは、人付き合いの苦手な人。
ここへ隠れ住んでいる男がその典型。
仕事場でも無駄な付き合いを避けるがために、周囲から浮いた存在になってしまい、浮いた状態がエスカレートし、ほとんど嫌がらせを受ける状態に・・・・・。
まぁ、それでもなかなかそいつを殺したいとまではなかなか思わないものだとは思うが・・・。

目の不自由な彼女も出来ることならもう外など出たくない。
一人で暮らす事に慣れ過ぎてしまっている。
その二人が沈黙で同居し、お互いの存在を認め合っている。

そして人付き合いの苦手な人達はここでもやはり優しい人たちなのだった。

暗いところで待ち合わせ   乙一著



君にしか聞こえない


なんとも独特の世界。

人と話すことが苦手な女子高生。

クラスメイトはいるが、気軽に話しかける相手は一人も居ない。

同じクラスの皆が携帯電話を持っている中、彼女一人だけは持っていない。

携帯を持ったとしても、掛ける相手がいないのだ。

でも、いつかは携帯電話を持ってみたい。携帯電話で誰かと話をしたい。
と思ううちに、頭の中ではいつも携帯電話を持った自分を想像する。

毎日毎日頭の中での想像の携帯電話を持ち歩いていると、腕時計を忘れたことにも気が付かない。
頭の中の携帯の時計を見ているのだ。

そんなことが続くある日、頭の中のイメージのはずの携帯電話が鳴り始める。
人と携帯電話で話をする。
妄想だろうと思ってしまうのだが、現実に存在する男の人だった。

彼もまた、現実界では孤独な人。
そんな彼とほぼ頻繁に電話をするようになるが、はた目から見れば頭の中で話しているので、単に黙っているだけに見えてしまう。
だからテストの最中に問題を読んで協力してもらうことも出来てしまう。

その彼と実際に会おうということになり、悲劇が起きるのだが、その時の彼の優しさ、彼女の優しさ。

そしてもう一人、脳内電話で知り合った年上の女性の温かさ。

荒唐無稽な話のはずなのに、何かじーんと来るものがある。

他に「傷」という話と「華歌」という話の計三篇。

怪我をしている人とすれ違いざまにその人の身体に触れることでその怪我を引き受けてしまう他人の傷を自分に移動させることの出来る少年。おかげでその少年の身体は傷だらけ。というの話と、入院している病院の庭に咲いていた歌をうたう花。
花の中には少女の顔が・・・。という話が二篇。。

周囲の人と接することが極端に苦手なのだが、誰よりも心は美しい、この作者はそんな人を登場させることが多いようだ。

君にしか聞こえない 乙一著dth=



GOTH


これはミステリーというジャンルの小説なのだろうか。
本格ミステリ大賞という賞の受賞作だという。

主人公は猟奇殺人などに異様に興味をしめす高校生。
もう一人同じ様に猟奇殺人などに興味をしめす女子高校生が登場する。

二人は最近近所で起こっている連続殺人事件の犯人知りえないようなことが書いてある手帳を入手する。まさに犯人の書いた犯行記録というものなのだろう。
その中にまだ報道されていない犯行の記録があり、二人はその死体を探しに行く。

この二人が犯行を犯したわけでもなく、人を殺傷したいという欲望を持つわけでもないのだが、その異様な犯罪者に対する、憎悪や、うす気味悪さの気持ちや、恐怖などの心は全く持ち合わせない、いやそれどころか、犯人に対する共鳴感やあこがれに近いものを抱いているのかもしれない。

もちろん手帳を警察に届けるなどということをしないどころか、犯行現場から被害者の持ち物を持ち去ったりもしてしまう。

もちろん、犬の連続連れ去り事件にしても、その女子高生の妹の死についての解明の話もミステリーと言えばミステリーなのだろう。

この本の文庫版ではあとがきで作者そのものが、ミステリ大賞受賞という事態をいぶかしんでいる。それほど話題になると思っておられなかったのだろう。その短い文章の中で、犯人も主人公も妖怪だと思って下さい、と述べておられる。

猟奇殺人というもの後を絶たない。

直近では秋葉原で起きた無差別通り魔殺人。
そしてそれら近年の猟奇殺人の走り的な存在である多摩川沿いの連続幼女誘拐殺人事件の宮崎何某に対する死刑執行。
宮崎に対する死刑執行については「早すぎる死刑執行」という論調の報道が有り、秋葉原無差別通り魔に対しては非正規雇用社員の鬱屈という社会的な背景を原因とするなどという論調の報道がなされる。

宮崎何某については、事件から20年も経過しているというのにあれだけ残虐な殺人者に対する執行がまだされずに生きていたのか、と思った人が大半だろう。
連続通り魔について社会的背景を因果関係とするに至っては、呆れる果てるほかはない。
連続殺人事件そのものはもっと以前より何度も起きてはいたことだろうが、
「殺人をしてもその何が悪いのかがわからない」
という類いのコメントが出てくるようになったのはやはり宮崎の事件からではないだろうか。

GOTH という本はもちろん、それらの凶悪犯罪を擁護するものでも煽る目的のものでもないことは明白であるが、そういう誤解を招き易い要素はあるのかもしれない。

ただ、そういう事件の後に必ずなされる、事件についての山のような報道を見たり読んだりするよりも、わけのわからないコメンテーターの知ったようなコメントを山ほど聞くよりも、GOTH の主人公のようなそういう事件そのものに共感を示す若者の気持ちを知ることの方が有用かもしれない。

秋葉原の無差別通り魔に対しても「神だ」などという声は大げさすぎてサイト誘導的な要素から生まれたのかもしれないが、「気持ちはわかる」的な共感者の数は相当居る、というのは本当かもしれない。

GOTH という本、作者の意図に反してかどうかはともかく、それなりに話題性を持つ要素は充分にあったであろう。
それにTVコメンテーターのその場しのぎのコメントを一生懸命に聞くぐらいならこの本を一読する方がはるかにましに思える。

GOTH(ゴス) リストカット事件 乙一 (著)