ダ・ヴィンチ・コードダン・ブラウン


これまでここで取り上げられる作品は、丁度もうじき映画化、もしくはドラマ化されるものを選んでいるフシがありますが、そういう意味ではこの「ダ・ヴィンチ・コード」は、時期を逸してしまっていますね。既に映画化されて映画でも大ヒット。この作品についての賛否両論はいろんなメディアで取り上げられています。
もう今更、と言った観が無きにしも非ずなのですが、敢えてUPしてもらう事にしました。

上・下巻共、書き出しはこの一文から
「ここに記述されている事は全て真実を元に書かれている」

筆者は真実だ、と敢えて言っているのは推理小説っぽい展開があるからでしょう。
但し、その歴史的背景は全て真実です。と断わりを入れている。
この一文がまたクリスチャンを刺激するのでしょうね。

また、この本の中核を為すシオン修道会の歴代総長の中にレオナルド・ダ・ビンチ アイザック・ニュートン ヴィクトル・ユゴー ジャン・コクトー などの名前が出て来るのが興味深いですね。

イエスは神であり、神の子だ、という事を信じているクリスチャンに、敢えて真実はこうですよ、と言ってあげる必要などあるだろうか、という気は確かにします。しかしながらキリスト教そのものが歴史に与えた影響はあまりに大きいので、真実を探求する事の方が大事な気もします。

キリスト教に限らず、仏教にしても大抵の宗教の敬虔な信者というもの、私の知っている限りにおいては、まず世知辛い世の中にあって世知辛く無い。何が何でもという欲が無い。日々非常に幸せそうに笑みと共に生きている、というのが私の実感としてあります。
先日もクリスチャンの方のお葬式へ行って来ましたが、一般のお葬式が規格品の様なものだとすると、クリスチャンの方のお葬式というもの、本当に心がこもっていて、亡くなった方への手作りの式、というイメージです。

この「ダ・ヴィンチ・コード」の映画が封切りされると同時に巻き起こった、各国での「ダ・ヴィンチ・コード」排斥運動と、あの無害な幸せそうな信者とはどうにも繋がらないのです。
イスラムの諷刺画を描いて、暗殺されそうになった人も居ましたね。
宗教というのは、そんな偏狭なものなのでしょうか。

誰々が水の上を歩いただの、死んで3日後に生き返っただの、マリア様が天から授かったのって、それそのもののを真実として、絶対否定を許さないものとして受け止めているから信者だという訳でもないと思うのですが・・・。
寧ろ大切な事は、教えの箇所なのではないでしょうか。
「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」だとか
「汝の敵を愛せよ」だとか
「求めよ!しからば与えられん」だとか
「汝ら人を裁くな」・・・・という様な教えを大切にしているからこそ、一つの教義の元で信者を続けて行けるのでは無いのでしょうか。

では、なにゆえにさほどの排斥運動などが必要なのでしょうか。
こういう事なのでしょうね。
教会の行事は聖書の教えがと賛美歌が無くては成り立たない。
聖書や賛美歌の中にはイエスの復活だとか、神の子イエスはやはり人間では無く神で無ければ歌や教えに矛盾が生じるのでしょうか。

話を変えますが、この「ダ・ヴィンチ・コード」の主人公のラングドンという人物、物凄い博学ですので、宗教の事以外でもかなり勉強になりました。
その一つが宇宙で最も美しい数値だという「黄金比」(約1.618)を解説している箇所。
①ミツバチの群れにおける雄と雌の個体数の関係において、世界中どのミツバチの巣を調べても、雌の数を雄の数で割ると、その答えは黄金比になるという。

②巻貝の螺旋形の直径は、それより九十度内側の直径の1.618倍(黄金比)になる。

③ヒマワリの頭花に逆方向の螺旋がいくつも渦巻いて並んでいる。
それぞれの渦巻きを、同様に九十度内側と比較したときの直径の比率が「黄金比」。
黄金比は自然界のいたるところに見られる。そこまではいいでしょう。
人間の身体にも言えると言うのですが、
④頭のてっぺんから床までの長さとへそから床までの長さの比率が「黄金比」。
⑤肩から指先までの長さと肘から指先までの長さの比率は「黄金比」。
⑥腰から床までの長さを、膝から床までの長さで割ると「黄金比」。
  ⇒こうなるとちと怪しいですね。それって個人差があるんじゃないんですか?
でも事実に基づいて書いているのだから、事実なんでしょうか。

建築物においても、
ギリシャのパルテノン神殿、
エジプトのピラミッド、
ニューヨークの国連ビルに至るまで、建築寸法に黄金比が使われているのだそうです。

と結局、お茶を濁してしまいました。

ダ・ヴィンチ・コード〈上〉 ダン・ブラウン (著)  越前 敏弥 (訳)

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