幸福の王子オスカー・ワイルド


ご存じの児童向け図書の名作。
金で覆われた銅像「幸福の王子」が越冬に出遅れたつばめに頼んで、自分の身体をついばんで貧しい人、病気で苦しんでいる人へ届けてもらう、サファイヤの眼をくりぬいて運んでもらい、ルビーの刀の柄を運んでもらい、身体中を覆っている金を運んでもらい、ついには、かつて金ピカだった王子の姿はボロボロになり、破棄され、つばめは疲れ切って死ぬのだg、街には貧しさやひもじさで腹をすかせたり、凍える人はいなくなった・・・・という有名なあの話だ。

この児童書を曽野綾子さんが翻訳したというので、読んでみたくなった。
曽野綾子さんが翻訳したからといって本の内容が特に変わったわけではない。
訳者として一カ所だけ。王子とつばめが神様の元へ召されてかけられる言葉の箇所のみ手を入れたとご本人は書いておられる。

曽野綾子さんいわく、この本は子供向けの本では決してない、と。
字を読める年齢になった子供から、字を読み続けることの出来るすべての老人までを対象にした本なのだ、と。

曽野さんは「作家にこの一冊を書き終えれば死んでもいい」と思える作品があるとすれば、自分がオスカーならこの本を選ぶだろうと言い、もし生涯で一冊だけしか本を読めないとしたら、どんな大作よりもこの本を選ぶのだという。

何をしてそこまでのことを曽野さんに言わしめたのか。

つい先日も衆議院選挙があったばかりだが、立候補者の中には平和や愛の達成を口先で声高に叫ぶ人は多い。平和は平和を叫ぶだけでは達成しない。

その平和や愛の達成には、それなりの対価を伴う。

この王子はその対価として目を差しだし、やがては命さえ差し出す。
つばめにしてもしかり。

平和や愛の達成のために自身が盲目になることも厭わず、命さえ差し出してしまう。

その行為の尊さに曽野さんは胸をうたれたのだろう。

幸福の王子 オスカー・ワイルド著 曽野綾子訳