洋梨形の男 


この本は所謂SFホラー短編が6篇納まっている。
ホラー、ホラーというがそうなのだろうか。
SF的要素は多分にあるが、ホラーと呼ぶ世界とは少し違う様な気もする。

人間の持つ欲望野望があまりにもシュールな世界から復讐を受けているような風景を描いているともでも言えばいいだろうか。
シュールなどと言う表現は、我々シロートにはちょっとおこがましかったかもしれない。

次の三篇が面白かった。

「モンキー療法」
幼いころから嫌いなものは親が遠ざけ、好物ばかりを与えられ、好きなだけ食べてぶくぶくと太った男がダイエットに目覚める。
数々のダイエット療法を試みるが、どうしても食べながらやせる式に流される。
そんなものがうまくいくはずもないとは思えどこんなおいしい話はないだろう。
かつてぶくぶくに太っていた友人が細くスリムになった理由を聞き出したのが「モンキー療法」なるもの。
果たしてどんなダイエット法なのか。

「子供たちの肖像」
作家という職業、身近なものなんでも小説の題材に書いてしまう。
小説の題材は何も身近なものばかりではない。
自らの願望や若い頃そんなことをしてみたかった、みたいなこと。
自らの失敗談、または自分がその仕事をしていたらそんな失敗をしていただろう、みたいなこと。皆題材である。

身近なものである家族はもちろん養い、子供は育てるが小説の中の登場人物もしかり。
そのキャラクターを作り出し、個性を持たせるのは当然だが、それが連作となれば、更に育てて行く。
まさに子供たち同然だ。
そんな小説の主人公が絵の中から飛び出して目の前に現れたらどうなるのだろう。
主人公が殺し屋だったら・・・。

この6篇の中では最後の「成立しないヴァリエーション」が秀逸なのではないだろうか。
この一篇だけは短編とはいえないような長い物語だ。

学生時代に出場したチェスの大会。
4人でのチーム戦だ。
主人公はチェスのプレイヤーだっただけではなく運営にも携わっていた。

卒業して10年
自ら何をやってもうまくいかない主人公には学生時代にそのチェスのチームを母校から6チームも大会に出場させたことだけが、唯一の誇りであり過去の実績。
一つの大学から6チーム出場は過去にもその後にもない記録。

自らは母校のBチームとして出場したチェスの大会。
そこでのチームメートの一人が優勢な局面で責めに出てさえいれば、チャンピオンチームに勝利出来たところ、責めに出ず、受けに入ってしまったために、彼らは勝者ではなくなってしまった。
当然ながら残りの三人はその一人を臆病者と呼び、残りの学生時代を過ごした。
その臆病者の彼が卒業後エレクトロニクスの世界で成功し、10年たった今、三人を自宅に招待する。
そんな始まりだ。
そのエレクトロニクスの彼がまた執念深い。
10年前のそのチェスの大会での盤面をそのまま残していた。
そうその負けた男はその後もずっと、ありとあらゆる責め手でその局面をシュミレーションしていた。
彼の執念深さはそのチェスに対してだけではない。
彼の失敗を臆病者と呼んだ残りの三人に向けての執念深さは並み大抵のものではない。

馬鹿にした三人はそれぞれの世界で成功者にはならなかった。
敗者と言ってもいいぐらいにツキに恵まれなかった。
臆病者と呼ばれた男の執念深さがその原因だった・・・。

臆病者と呼ばれた男はとんでもない発明をしていたのだが、それには触れない。

作者のマーティンそのものが学生時代のチェスのチームを自分の大学から6チーム出場させていてそれは30年間破られなかった記録だった。と訳者があとがきで述べている。

このチェスの話、フラッシュバックのSF的要素を除けば、作者の体験を元に書かれていたのかもしれない。
まさに「子供たちの肖像」の作者のように。

何故、この本のメインに「洋梨形の男」を持って来たんだろう。
ひょっとして本のタイトルにもってくるのには一番だったからだろうか。

甘く、酸っぱく、濃厚な臭い。ゴミ箱の中の古いバターと腐った肉と野菜が混じったようなにおいのする、洋梨形の体形の気持ちの悪い男。
それだけでもインパクトはあるし、タイトルにも持って来いかもしれないが、ストーリーとしては「成立しないヴァリエーション」の方がはるかに面白い。

確かに本の表紙タイトルには不向き気はするが・・・。