珈琲屋の人々
読み終えた後、なんとなくほのぼのと心があったかくなる話である。
バブル全盛期ではどんなに場末だろうが、金融機関に動かされた地上げ屋が土地を買占めに来たものである。
この物語の舞台となる商店街もバブルの後期に地上げ屋が買い占めようとした場所。
地上げ屋の嫌がらせは嫌がらせの次元を超え、反対派のリーダーだった商店主の高校2年生の娘を集団で暴行して、自殺に追い込んでしまう。
それを吹聴している地上げ屋のリーダーに飛びつき、店の柱に頭をぶつけて死なせてしまった上、殺人罪の懲役を喰らった過去がある珈琲屋のマスター。
弁護士の意見も聞かず、
「本当に殺そうと思った」
「殺意が有った」
「ヤツを殺した事については反省はしない」
を裁判で貫いたため、本来であれば情状酌量の余地が有りとなるところ、そうはならず永い懲役を喰らってしまう。
そんな過去を持つマスターは 「自分は前科者ですから」 と控え目な姿勢を崩さない。
出所してくるマスターと時期を合わせたかの如くに嫁ぎ先から出戻りで帰って来る、幼馴染みの女性。
普段は客の少ないこの珈琲屋に商店街に暮らす人達の問題ごとが持ち込まれる。
それぞれが短編としてまとめっているのだが、この作者の素晴らしいところは、それで結局どうなった、の箇所を書かないところである。
そこから先は、読者のご想像にお任せします、というわけだ。
・クリーニング屋の主人の浮気を知った妻。
その妻が包丁を手にして主人とこの珈琲屋を訪れる。
・生活が苦しく父が自殺を考える父。それを知った娘の女子高生は援交をしてでも家計を助けようとするがやはり出来ない。
その援交を仕切る女子高生にマスターが言葉を投げかける。
前科を持ち、塀の中で人生の一時期を過ごした人間ならではの説得力。
・妻の介護に疲れる年金暮らしも元サラリーマン。
訪問ヘルパーが来る一週間の内の二日だけ、カラオケ仲間と息抜きをする。
そのカラオケグループで知り合ったひとまわり年下の熟女を好きになってしまう。
好きになったとたんに寝たきりの妻に死んで欲しいと思うようになる。
「人を殺すとはどういうことか、教えて下さい」
「人を殺すということは人間以外のものになるということです」
マスターは答える。
さてこの団塊世代の元サラリーマンの下した結論は・・・。
・友人の店で働く、計算高い損得勘定から離れられない店員の女性の話。
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それより何より主人公とその主人公を愛する女性との成り行きにしても須く、その先はどうなったの?は常に読者の想像に委ねられる。
読者としてはその先を読みたい反面、これで終わってくれて良かったんだなぁと、納得させられる。
そして、自分は前科者ですから、と言いながらも皆から頼りにさせるこのマスターの暖かさに心打たれる。
この本の帯には「読み終わると、あなたもきっと熱いコーヒーが飲みたくなる・・・。」とある。
ひと昔前の「この映画を見たらあなたもラーメンを食べたくなるでしょう」という伊丹十三監督の映画を思い出してしまうような文字が並んでいるが、あの映画のようなラーメンを極める如くに珈琲を極める話ではない。
居心地のいいのが取り得の商店街の珈琲屋の物語である。